龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 16


相も変わらず物騒な事件ばかり頻発しているが、その中でも特に今の日本を象徴しているかのように感じ

られたのは立川署の巡査長による一般人女性射殺事件であった。警察官とはいえ一人の男であるのだから

時にはキャバクラに行きたくなることもあるであろし、それ自体を批判することは出来ないのかも知れな

いが、入れ揚げた挙句ストーキング行為をするという時点で明らかに警察官として侵してはならない一線

を越えている。後はお決まりの転落への一途である。その巡査長も5歳や6歳の時分は、全ての子供たち

がそうであるように罪なき無垢の瞳で世界を見つめいたであろうに。そして周りの人たちに愛され慈しま

れる存在であったであろうに。まあ、どんなに凶悪な犯罪者であっても子供の時代はみな可愛いのだから

言っても詮無い事ではあるが。しかしストーカー警察官の無理心中とは何とも虚しく、哀しい出来事であ

る。感傷にひたっていてもしようがない。私はこの事件に関して二つ、言いたいことがある。先ず第一

に、制服警察官に拳銃携帯の必要性があるのかということである。私は、はっきり言って制服警察官の拳

銃携帯は、日本の核武装の必要性よりも明らかに根拠がないものだと思う。自転車の無灯火を注意した

り、スピード違反を取り締まるのに何で拳銃がいるのだ。拳銃は人を殺すための暴力ではないのか。日本

人の一番悪いところは、一旦受け入れてしまったものを変えようとしないところである。理不尽さに忍従

することが成熟の証ではない。現状において一般市民を威嚇するだけの役割しか果たしていない拳銃など

いらないではないか。捜査において携帯の必要性が認められる以上の拳銃は即刻、廃棄処分にすべきだ。

当然、そのためには法律を変えなければならない。第二に、これは簡単に論じ切れる問題ではないがあえ

て言うことにする。権力を行使する側(警察官)のわかり易い論理ほど恐ろしいものはないが、わかり易

さの欠如もまた問題ではないかということである。そのバランスが日本では明らかに壊れている。たとえ

ば立川署の巡査長にしても小さな頃は、悪い奴をつかまえていい世の中にしたい、とか弱い人間の味方に

なって助けてあげたいというような正義感があったはずだ。そういう気持ちが皆無の人間が警察官になる

ことはあり得ないように私には感じられる。水戸黄門か遠山の金さんのような単純な勧善懲悪の論理で権

力を振りかざされるのは市民にとっては堪らないが、社会道徳、規範が乱れている世相で法律が独り歩き

する社会も支配の形態が異なっているだけでファシズム的であることに変わりないように感じられる。人

間は機械の一部品ではないのだから、ジグソーパズルのピースをはめ込むように法律や条例の条文に従っ

て社会に組み込まれる存在ではないはずだ。社会というものも一つの生命体であって論理や情操、神秘が

バランスよく保たれていなければならない。官僚のご立派な頭脳で設計された仕組みが、そのまま外部化

されたような社会は生命が殺されているのだ。だから小さな子供たちが死んでゆくのである。警察機構と

いう巨大な官僚組織の末端に位置する現場の警察官たちは法律、道徳、社会常識などが不気味に混ざり合

った毒々しいカクテルを国家という岸に打ち寄せる市民生活の波打ち際で日々飲まされ続けている。彼ら

はある意味、日本で最も気の毒な人種だという印象を私はもつ。その毒にあたり続けた純粋で哀れな魂が

ある日突然、暴発して何の不思議があろうか。ただ日本の現状を象徴するかの粗末で悲しい絵を見ている

ような気がするだけのことである。


余談ではあるが最近、地元の刑事と話しをする機会があって(と言っても別に私は逮捕されたわけではな

い。)その時に聞いた話しでは、今、家庭の男たちは大変な目に遇っているということらしい。何でこん

なことでというような理由で、妻たちから次々と警察に被害届けが出されているということだ。それで私

が、自分の立場を守ったり不都合を隠すために法律や警察を恣意的に利用するような人間ばかりになると

世の中が滅茶苦茶になるではないかと言うと、その刑事は一言「もう既になっている。」と答えた。私

が、「そんな状態では本来、解決しなければならない捜査の支障になるのではないのか。」と聞くと、刑

事は黙っていた。(尚、このやり取りに関しては、刑事が特定されて余計なことを言ったと上層部のいじ

めに合っては可哀想なのでフィクションだということにしておく。いや、しておくのではなく私が書いて

いることは全て文学と言う名のもとのフィクションだ。)常識的に考えれば、警察が女性に対してこんな

つまらんことで訴えるようなことはするなとか、もう少し冷静になって考えろとか、君の方にも落ち度が

あるんじゃないかと言って諭すようなことは出来そうなものである。しかし、現実には警官のそのような

態度に女性が怒ってその筋の政治家や団体に訴えると、場合によっては刑事の首など鳥の羽のように簡単

に飛ばされてしまう。だから警察は身動きできないほどつまらない事件を一杯抱え込んで、肝心の重大事

件の検挙率が低下する事態を招いているように見受けられる。社会に基本的な道徳や規範が不文律に存在

していれば生じないような争いごとが全て警察の領域に侵入している。また、検察は検察で処理しきれな

いほどの未処理案件に追い込まれ、当事者の同意もなしに事件を不正にもみ消してしまうような不祥事が

起こる。最も深刻なのは裁判所であって、一人の裁判官が抱えている事件の数が多すぎてノイローゼにな

り自殺するケースもあるようだ。自殺するまでには至らなくとも、裁判官は真実を追究しようなどという

ような考えを完全に失っている。真実などどうでもよいのである。どのように真実を構築すればよいかと

いうことであって、大抵は大勢の流れを追随したものになる。要するに刑事が言ったとおり、日本の実態

はもうすでに滅茶苦茶になっているのだ。しかし、このような事実が報じられることはない。それはどう

してなのか、そのあたりの認識が一般大衆において見事に欠落している。メディアというものは警察や司

法などの社会を司る中枢機関が、きちんと機能しているという前提によって存立が条件付けられている組

織なのである。だから日本の中心機能が崩壊していることなど報道することは出来ないのだ。おわかりだ

ろうか。わかりやすく説明すると警察が個人の権利や利権のために利用されておりその結果、警察官は正

義感という職業倫理をまったく失ってしまっている、また裁判官は真実を追究するという本来あるべき姿

勢を放棄して大勢や上級審に迎合する判決ばかり書いている、そのような事実が大衆に広く知れ渡れば誰

が一体真面目に新聞を読むねん、誰がニュース番組を見るねんということである。新聞を読まない、ニュ

ース番組を見ないだけならともかく国民は真面目に働こうという気持ちすら喪失してしまう恐れがある。

あるいはそんな国家に対して何で税金、払わなあかんねんということになりかねない。ここまで言えばわ

かるだろうが、要はそういうことなのだ。しかし隠蔽してどうにかなるような問題ではないであろう。日

本が民主主義国家であることを標榜するなら、真実に光をあてて国民全体で問題を共有する以外に前進の

道はないではないか。見えないものが全体を蝕んでいるのである。隠されたものが癌細胞のような凄まじ

い勢いで増殖し、死へと突き進んでいるのだ。