龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 25


ボクシング亀田一家に対するバッシングは常軌を逸している。大毅と内藤選手の一戦は綺麗な試合だとは

とても言えないものであったが、大毅の反則行為が試合全般を通じて目立っていた訳ではない。むしろ中

盤まで内藤選手が大毅の額部分を、左グローブで押さえていたのが見ていて気になった。レフェリーにも

注意されていたが、明らかに内藤選手は大毅に接近されるのを恐れて、そのような行為をしていたものだ

と思われる。距離を取るならフットワークを使わなければならないのであって、頭を押さえてはいけな

い。また父親、史郎氏や兄、興毅が「肘を目に入れろ」とか「玉を打て」などと反則行為を指示したとさ

れる点についても、実際に大毅はそのような反則行為はしていないのであるから父親、史郎氏をボクシン

グ界から追放するというのは極端すぎる。ヒステリックな気配を感じるのは私だけなのだろうか。また亀

田一家は確かに柄がいいとはお世辞にも言えないが、ボクシングは元々ゴルフのような紳士のスポーツで

はない。試合終了後に選手同士がお互いの健闘を称え合い、抱き合うシーンは美しいのかも知れないが、

個人的な感想を言えばあえて見る必要はないものである。憎しみや確執、執念などの世間一般では忌避さ

れる感情が競技の場で発露され、昇華されるところに興行的な“見られる価値”が生じるのだと私は思

う。あえて言えばスポーツに反則は付きものなのである。反則行為を奨励するわけではないが、死に物狂

いでやっているからこそ反則は生まれるのであって野球のピーンボールやサッカーの肘打ちもみな同じだ

と思う。政治家ですら時には国会内で乱闘するではないか。昔のプロレスのように凶器を持って乱入し攻

撃するのは論外だが、“死に物狂い”に附属するような反則行為を“追放”というような処分で応じるの

は、反対にそのスポーツの神聖さを汚すことだと思う。アマチュアスポーツならともかく、一触即発的な

不測の事態が起こる気配のまったく感じられないようなプロスポーツを私は見たいとは思わない。そもそ

も今のTV番組は、“やらせ”だらけじゃないのか。よくも亀田一家を批判できるものだな。見る人の価

値観や考え方にもよるのであろうが、私はたとえ柄やマナーが悪くとも反則行為があっても、作り物では

ない“真剣さ”こそを評価したい。その上で、世界戦として恥ずかしくないような技術レベルやパワーが

あればより一層、観戦価値が高いと言えるのかも知れないがそれはまた別の問題である。なぜなら今の亀

田批判は単なるスポーツの限度を超えているからだ。はっきり言って、家族批判である。私は、亀田批判

の底流に父子の結びつきに対する憎悪を見る。子離れとか親離れとか、大きなお世話じゃないか。父親が

疎ましいと感じるなら離れればよいのであり、必要と思うならくっついていればよい。本来はそれだけの

ことである。第三者があれこれと口を挟むことではない。家族の形態は様々であって歪められた一般論を

押し付けるべきものではない。それを、大毅や興毅が父親から離れざるを得ない状況を回りが強引に作っ

ておいて、世間的な親離れの論理を持ち出すのは卑劣である。腹立たしいのはTV番組的な“やらせ”の

本質がそこに見えるからだ。日本は、いつからこのような国になってしまったのであろうか。謝罪を無理

強いするような会見で、「お父さんのどういうところが好きか」なんて、恥ずかしげもなくよく聞けるも

んだな。パフォーマンスの行き過ぎなんて言うけれど、亀田バッシングを盛り立てているパフォーマンス

の方がよほど行き過ぎているじゃないか。今の亀田家バッシングは、まるで日本敗戦後の連合国軍側によ

東京裁判のようである。ボクシングは戦争ではない。あなたたちは、大毅の敗戦を一体何に利用しよう

と目論んでいるのだ。もう一度言う。日本はいつからこのような国になってしまったのだ。




夭折願望の正体とは、一体なんであろうか。三島由紀夫は夭折願望があって果たせなかった人物である。

私も三島が自決した年齢に近づいてきた。国を憂える気持ちはあるつもりだが、三島のような天才が考え

ていたことの100分の1も理解できないであろう。しかし三島は俗人的な願望も常人以上に苛烈だった

のではないのだろうか。だからこそ夭折に憧れたのだと思う。おそらく三島は天才ではあっても、詩人で

はなかったのだ。詩人とは才能の資質にあるのではなく宿命にあるのだと思う。江戸時代の禅僧、仙崖は

88歳まで生きながら、臨終の間際に「死にとうない、死にとうない」とつぶやいたのだそうである。何

とも正直でユニークな坊主である。私は「生きとうない」とも「死にとうない」とも言いとうない。夭折

するだけの心の美しさには恵まれなかったのであろうし、88歳まで生きるしぶとさがあるとも思えな

い。でも私が一篇の詩を書くということは、生死を超越したところに視点を置くということであって、そ

の孤独な境涯が何より私の宿命だと思うのである。