龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 34


年末にTVを見ていて感じたことがあるので今回は、それについて書きたい。確かTBSだったと思うが

美輪明宏が出ていて、その他ゲストタレントたちの質問に答えてゆくというものであった。それで名前は

知らないがこの頃よくTVで見かける女医タレントが登場していて、このような質問をぶつけたのであ

る。

「私は親から子供の時分より、世の中の99.9%のことは金で解決できると教えられ育てられてきまし

た。現在、私自身その通りだと考えています。このような生き方は間違っているのでしょうか。」

何気なく、ぼんやりとTVを見ていたのであるが、私はこの問いかけをとても面白いと思ったのである。

あまりに日本的な何かの本質がぽんと床に投げ出されたような質問に感じられたからだ。それで美輪明宏

は、ちょっと困惑したような顔を見せた後おもむろに

「あなたは本音を語っていない。それはTV用のセリフに過ぎない。」と相手を庇うようなことを言っ

た。私は、その質問内容は番組の企画に合わせて若干誇張されてはいるかも知れないけれど、その女医タ

レントは誰もが心の底で思っていて遠慮して言えないようなことをさらりと言ってのける自信と美貌をT

V的な売りにしているようなのでまんざら作り物ではない、というよりもかなり本音に近いもののように

感じられた。

本音を晒すことは決して悪いことではないと思う。私だって今こうして本音で書いている。しかし本音を

表現するところに何かしらプラスアルファの創造性やオリジナリティの煌きがなければ単なる俗悪に過ぎ

ないし退屈だと思う。しかし私はその女医タレントを批判するために書いているのではない。そもそも娯

楽番組のほとんど全てが俗悪なもので占められているのでタレントの一人や二人批判してもしようがな

い。

その質問に対して芥子色に燃え上がる炎のような頭髪をした美輪が怯みはしないまでも何かしら言い淀ん

でいる光景が微笑ましくもあり、どこか日本的だと私は感じたのだ。結局美輪は、死んであの世に金を持

っていける訳ではないとか、怖れずに愛することを学ばなければならないといった、風貌に似つかわしく

ない誰もが答える凡庸なアドバイスをしていた。

それで、その質問内容に対する私自身の考えを述べたい。まず第一に世の中の99.9%は金で解決でき

るなどと政治家や役人が言えば大変なことになる。下手をすれば、身辺を探られて両手が後ろに回ること

であろう。しかしその女医タレントの名誉のために断っておくと、彼女はそのような意味合いで言ったの

ではない。金の力で不正をもみ消すような脱法的なニュアンスとは異なる。あえて私が噛み砕いた解釈で

変換するとこういう文脈になる。

「世の中、誰もが愛だとか夢だとか抽象的であいまいなことばかり言っているがそんなのは無意味なたわ

言だ。人生を左右するのは金の力しかないのである。」

これは政治家や役人などの権力と無関係な一般人が語る人生哲学とすればそれほど特異なものではない

し、問題があるとも言えないであろう。誰がどのように考えようと結局その人の自由なのである。しかし

その発言に日本的な精神の普遍性を見るとなると意味合いは変わってくる。“資本主義社会においては究

極のところ全ては金である”という考えは私は正しいと思う。しかしそれは一面の真理である。人生は、

そして世界は一面のみから構成されているのではない。そもそも宇宙の本質は多面的なパラレル性にある

のだ。まあそこまで話しを大きくしなくともわかりやすい例で言えば、どんな美人でも見られたくない角

度があるであろうし、不美人であっても是非この方向から見てくださいという奇跡の角度があるものであ

る。目の前にある物を見るように多面的に形なき人生や社会状況を理解するということは高い知性と成熟

した精神が要求されるものだと思われる。それで、一般的な日本人がその水準に達しているかどうかとい

うことが問題なのである。

世の中の99.9%は金で解決できるなどという考えを世界的な常識で考えて見ると、日々新しい成金が

生まれている中国のような新興国ならともかく先進国においては日本だけではないのだろうか。日本では

表立って言わないまでも内心そのように考えている人間は結構多いと思われる。金が神になっているので

ある。それがヨーロッパの富裕層であれば、“金が全てだ”みたいなことをいう人間はおそらくマフィア

のボスぐらいではないのかと私は思うのである。一般人であれば、金が万能だと思うかというような問い

かけに対してはっきりとNOと言って、そこからそれぞれの考えをあれこれと述べるような光景を私は想

像する。それは世間体を慮っての建前ではなく自分自身と世界と神に対する本心の宣言のように思われ

る。その心理的な構造を私なりに分析して見ると、人間存在を一面的な原理に還元して捕捉しようとする

動きに対して、要するに人間の可能性を矮小化させる見方に対する断固とした否定なのだと私は考える。

だから親は子に、教師は生徒にそのように教え向き合うであろう。一面の原理を突きつけられ型にはめら

れようとされた時にどのように抵抗して自分を守ることが出来るか、それがすなわち文化であり、豊かさ

であり、個々人の生きる力につながるのだと私は思う。そしてそれらの部分が今日の日本において極めて

空虚であることは言うまでもない。自殺率の高さもそのようなところに原因があると私は見る。TV番組

の内容に話しを戻せば美輪明宏のように私は天草四郎の生まれ変わりで菩薩だと、はばからずに言っての

けるような恐らくは現代の日本で最も超然として生きているような人が、世の中は全て金だ、文句がある

かというような日本的精神の断面を見せられるような質問に対して一瞬、答えが詰まってしまうのであ

る。欧米の一般人のようにすらりとNOと言い得ないような閉塞感が日本にはある。この差はあまりにも

大きい。日本人が結局のところ本当の豊かな人生を送ることが出来ずに、全体として管理化され抑圧され

ているのはそのようなところに象徴的に表れているように思われる。バブルの時ですら日本人は金に狂奔

しているだけで人生そのものに豊かさは感じられなかった。最終的には内面に相応しいものしか得られな

い。世の中の99.9%は金で解決できるなどと言うことは、そのように宣言することが金との関係性に

おいて人間存在そのものを軽々しくしていることがわからないという理由においてグローバルなスタンダ

ードで見れば非常に恥ずかしいことなのである。