龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 35


人間の可能性や限界を一面の原理に還元する対象は金だけではない。たとえばフロイトは人間の無意識や

不可解な行動を性欲(リビドー)で説明する理論を打ち立てた。私にはフロイトの理論が正しいのかどう

かわからない。また、その分野の専門家や学者が性欲や権力、金などそれぞれ特有の働きを通じて人間や

世界を解明しようとすることは決して還元主義ではない。しかし世間一般的には何か一つの原理に還元し

て述べたがる人間が多い。性欲に結びつけるのは極端だろうと思われるかも知れないが、そういう人間も

いるのである。以前にこれもTVの討論番組であるタレントが、あえて名前を出すと武田鉄矢であるが、

確か若者を相手に“人間ゆきつくところは全て性欲なんだ”と金八先生よろしく熱弁を振るっているとこ

ろを見た。フロイトを引用していたわけではない。単に彼の人生経験から得られた教訓であり、原理のよ

うなものなのであろう。私は、何だこの人は、とあきれてしまった。言はんとするところはわからないで

はない。尤もだとも思う。しかしそれは人間実存の一面の真理にすぎない。一面の真理を絶対化したり、

神聖視したり、普遍化するべきではないのである。そういう人がドラマとは言え教師役で青少年たちを感

化するのはちょっと堪らないなという気がする。先にも述べたように私はタレント批判をすることは本位

ではない。またそのセリフは本心ではなく、単に何かの方便で述べられただけなのかも知れない。しかし

はっきり言うが、“人間とは結局…”を枕詞に一つの原理に還元して人間を深く理解したかのような錯覚

に陥る境地とは、あまり程度が高いとは言えない人が最終的にたどり着く終着駅のように思える。少しで

ももののわかった深みのある人物は、決してそのような言い方はしないものである。

もう一つ例をあげれば、これも昨今のTVの影響であるが人生の諸問題を前世や霊魂に還元して理解しよ

うとする傾向がある。特に若者たちにこれら神秘的な世界に対する憧憬が強いように思われる。私は霊能

力や前世の存在を一概に否定するものではない。また美輪明宏と一緒にTVに登場している江原という霊

能力者の言葉には説得力があると思う。しかし、それらも結局は一面の真理に過ぎないのである。一面の

真理というよりは視点の問題だと思う。視点をわかりやすく説明するとライティングということになる。

目の前に一つのオブジェがあってどの方向から光を当てるとより美しく見えるか、またその形態をより正

確に理解できるかという方法論だ。人生とはひとつのオブジェなのである。しかし光が当たるところがあ

れば必ずどこかに影が生ずる。人間は神のように全てを一度に見通すことは出来ないのである。前世や霊

魂が視点の問題に過ぎないという認識なしに、そのような世界に深く入り込んでしまうと知らず知らずの

内に抜き差しならぬ状況に追いやられてしまうであろう。影の部分が盲点になって簡単に人に騙された

り、無意味に絶望したり、現実感覚を喪失して生きるのが困難になる。そのような人は恐らくたくさん存

在するのである。霊能力者や宗教家の助言を必要以上にまた絶対的に信用してはならない。自らの内なる

言葉に耳を傾けることを学ぶべきだと思う。生まれる前や死んだ後のことは本当は誰にもわからないので

ある。そもそも並行的に存在する宇宙を想定すれば前(前世)や後(来世)という観念そのものがナンセ

ンスになる。生きている限り今が全てだ。今、この瞬間に詩人ランボーが見つけた永遠が存在するのであ

る。

私がこれら還元主義的思考の弊害にこだわるのには理由がある。それはそこから差別や偏見が生まれやす

いからである。誤解のないように言っておくが今回例示したタレントの人たちが差別的思考の持ち主だと

言っているわけではない。むしろ反対であって差別や偏見と闘いながら生きている人たちであるというこ

とはよくわかっているつもりである。問題は物事を短絡的に考えたり、安易に決め付けたり、あるいは何

も考えていない人間が今の日本にあまりにも多すぎることではないのか。そういう人々は影響されやす

く、また頑なである。何かの原理に還元する思考が社会化されたコードになって多数に共有されるとそこ

から差別が発生する。差別の構造とは、共有された他者に対する還元主義的且つ短絡的な評価であるとい

うことが出来るのではないか。差別する人間は無意味な優劣の幻想の中で安心感を得ているので、絶えず

差別を必要とし差別に寄生しながら生きている。そのような人々は現代の日本にも未だにたくさん存在す

るのである。そういう人間には何を言ったところでわからない。世の中にはわかる人間とわからない人間

の2種類しかいない。それで、わからない人間は延々としてわからない。しかしわかる人間が増えれば、

わからない人間もいずれわからざるを得ないであろう。なぜなら、わからない人間とは積極的にわからな

いのではなく、自然の一部としてわからない環境に同化しているに過ぎないからだ。知性のない人間のこ

の世的な在り様はそのようなものだと思われる。今の日本が枯渇したような状態になっているのは、結局

そうならざるを得ないような思考様式を長年にわたって保持し続けてきた結果であるとも言えるのであ

る。我々は本来もっと豊かな人生を送ることが出来るはずなのである。そのためには、人間の価値を最大

化させるような考え方を選び直す必要があるのである。



「神々は沈黙を通じて語り、人間は雄弁の中で沈黙する。」