龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 53


しかし世の中、小利口な人間ばかりである。現職の裁判官がストーカー容疑で逮捕された。なによりも呆

れたことは、女性の好意を取り戻すために自作自演の馬鹿芝居をしていたことだ。架空メールを送り続け

て不安を煽ったあげく女性からの相談を受けることに成功し、「君にそんな恐ろしい思いをさせる奴は許

せない」などと言いながら同期の警察官僚に捜査を依頼していたそうである。

裁判官の地位、社会的信用を利用した悪質性という以前に、そのような幼稚な行為へと実際に走る裁判官

の精神構造が理解できない。

もちろんこの裁判官はあくまで特殊例であって、その他多くの司法関係者方は清廉潔白な人格の持ち主で

あろうことを心より信じている。

しかしである。家の中にゴキブリが一匹現れた時には、その一匹を叩き潰したところで完全に駆除したこ

とにはならない。どこかの物陰に少なくともあと2~3匹は必ず仲間が潜んでいるものである。そのよう

なゴキブリ的な精神性の持ち主に死刑を宣告される人間もいるのかと思うと私は本当に地獄で悪夢にうな

されるような心持すらして、刑務所のごやっかいになるようなことだけは決してするまいと固く、固く心

に誓うのである。

皆さんもそう誓い給え。

そういえば富山県の強姦冤罪事件においても警察や検察官は誤認逮捕した男性に対して謝罪したようであ

るが、誤った判決を下した裁判官が謝罪したという話しは聞かない。我々市井の民は、警察や検察、裁判

官など役割は違えどもそれぞれ強力な権力を国家より付与された機関として同類のような目で見てしまい

がちである。実際、起訴された事件の99.7%が有罪などと聞かされると結局みんな仲間かいなともぼやき

たくなる。

しかし弁護士から聞いたところでは、確かに基本的には結託している部分が大きいのだが組織としての対

立意識の心理構造が働いていて単純に仲良し小好しというものでもないらしい。

検察は警察よりも上級官庁だというエリート意識がある。また裁判官はヒエラルキー的には検察よりも上

位に位置づけられているのであろう。その裁判官も地方裁判所から高等裁判所最高裁判所へと地位があ

がってゆく。

要するに国民感覚から離れていくほど“偉く”なってゆくのである。富山県冤罪事件でも一番、下っ端の

警察が真っ先にお詫びしたものの収まらず深刻な社会問題として世論に受け止められるようになってくる

につれ、警察よりも偉い検察が渋々頭を下げた。しかし一番偉い裁判官が謝るほどではなかった、という

のが私が見立てた暗黙裡のヒエラルキー上の絵柄である。

偉くなると謝らなくともよいのである。

実は私も本当は人に謝るのが好きな方ではないので偉くなりたい。

今からでは到底無理か。

ならば、取りあえず根本的に謝っておこう。

太宰治の言葉を借りて

“生まれて、すみません”