龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 82


最近、久しぶりにホリエモン(元ライブドア社長、堀江貴文氏)がTVに登場している姿を見た。毎日放

送の『久米宏のテレビってヤツは!?』という番組である。その中でホリエモンの発言で印象に残ったと

いうか、少し感心したところがあったのでそれについて書くことにする。

ライブドア事件の摘発にあたった特捜検事の一人が、

“額に汗して働く人間が報われるような社会でないといけない。株価の操作で簡単に大金を稼ぐような人

間を放置してはいけない。”

というような意味合いのことを言ったとされている。政治評論家の福岡政行氏がそのような検察内部の思

惑を理由にホリエモンに対して

ライブドア事件とは、国策捜査だと思いますか。」

と聞いたのである。その質問に対してホリエモン

国策捜査だと言うよりも、検察の人たちの彼らなりの正義感の表れだと思います。」と答えたのであ

る。

何気なく聞き過ごしてしまいそうなやり取りではあるが、そこには非常な重要な認識が含まれていた。ホ

リエモンは当事者だから当然だとも言えるのだが、きちんと全体像が見えているのである。私はそれがわ

かって少し感心したのである。

国策捜査”という言葉は、元外交官の佐藤優氏が鈴木宗男氏に連座して逮捕された獄中で書いた著書に

よって今の日本を表すキーワードになった。佐藤優氏は自分が国策捜査で逮捕されたのだと考えながら

も、国家にとって国策捜査は必要なのだと権力を擁護する奇特なナショナリストである。私は佐藤優氏の

著書(『国家の罠』新潮社、『獄中記』岩波書店)を読んで、正直なところ国策捜査という言葉に少し違

和感を感じた。但し佐藤優氏の場合、北方領土問題やロシアとの外交関係のあり方、外務省内部での権力

闘争などが絡んだ複雑な状況において、背任・偽計業務妨害というよくわからない微罪で逮捕された挙句

512日間も拘留されたのであるから本人が国策捜査だと主張するのはきわめて尤もなことである。しか

し私が思うに、その国策捜査の性質が問題である。

佐藤優氏は私が読んだ著書でははっきりと述べていなかったが、どうも背後にアメリカの圧力があったよ

うに感じられた。日露平和条約締結、北方領土返還に向けた佐藤優氏や鈴木宗男氏の手法が、日米関係に

とってあまり好ましいものではなかったのである。日本の本質的な国益を重視、追求し過ぎたために全体

的な調和や枠組みから逸脱してしまったがゆえに潰されてしまったのだ。

ならば一体、“国策”とは何ぞやということになる。

と言うよりも“国策”なるものをどのように考えるか、そしてそれを政治家や行政機関、国民が共通認識

することが“本当の国策”の大前提ではないのか。

ところが日本の場合はそれらが権力内部の密室で密かに決められていて、大衆に対してはメディアの誘導

ばかりが行われているのが実態である。日本だけでなく、どの国家においても権力とメディア、大衆の三

者関係はそのようなものであると言えるのかも知れない。

しかし密室で諮られる“国策”が、大局的に将来を俯瞰して高度に国家的な判断や道徳観に基づいて決定

されるのであればまだしも許せるのである。ところが日本の場合はどうにも、そうとは思えないのであ

る。

要するに場当たり的だということだ。

特捜検察が“額に汗して働く人間が報われるような社会でないといけない。”

と言って権力が動き、ホリエモンがそれは“国策捜査ではなく、検察の人々なりの正義感の表れに過ぎな

い”と考えるのはそういうことである。

もちろんM&Aで株価を吊り上げて時価総額を膨張させてゆくようなホリエモンのビジネス戦略が肯定さ

れるべきではないと私は思う。権力がメスを入れなくとも、いずれは経済そのものの自浄作用によってラ

イブドアの拡大戦略は破綻していたであろう。リーマンブラザーズの例を上げるまでもなく、拡大の自転

車操業に転ずれば破滅へのカウントダウンは既に始まっている。

しかしそれは基本的には経済の問題である。検察という組織が場当たり的に奇妙な道徳観を発揚させて

国策捜査”に見えるような動きをするのは、日本という国家が経済や労働観、国民の生き方を含めて総

合的な“国策”が欠如しているからではないのか。結局、自民党は戦後の長期間にわたって一体何をして

きてんねん、ということにならざるを得ない。まったく見通しがない暗闇で右往左往しながらその時々

で、スケープゴートを作っているだけではないのか。

私は言葉にこだわるが、“国策”というと一般的に戦時中の“富国強兵”のように悪いイメージの印象が

あるのかも知れないが、本来国家にとって国策経済にしろ国策捜査にせよ“国策”はあって当たり前のは

ずである。地方への権限委譲と小さな政府もまた国策である。

私の考えでは、日本の国策がはっきりと定まらないでいつまでも揺らぎ続ける根本的な理由は、政治家の

国富に対する意識が新しい時代に対応出来ていないからだと思われる。冷戦下における二項対立の社会構

造と富をいかに配分するかという社会政策が結びついたところの意識からいまだ脱却できていないのであ

る。日本は資源もなければ食料自給率も低い国なのだから、富の配分から富の創造へと発想や考え方を変

えていかなければならないはずである。

富の配分と富の創造では根本的に意識が違ってくる。“富の創造”を土台にした教育や、経済、家庭であ

らねばならない。そして弱者切捨てにならないように福祉への富の配分が両輪のように並立しなければな

らないはずだ。

日本は自民党政権があまりに長すぎたために保守的な富の配分意識が強すぎて、社会改革というと増税

コスト低減、あるいは一時的なばら撒きのような安直な方法しか出てこないのではないのか。将来的な見

通しを立てて、日本が今後一体何で食べていくのかという最低限の方針がなければ滅亡の日を待つばかり

のように感じられる。

話しが少しそれたが、日本のあるべき国策については話しが長くなるので別の機会に論じたい。要するに

国策捜査については、全体的な国益に基づいた総合的な国策の一環であるべきであって、検察だけが独立

した善悪の意識で権力を行使していても世の中全体は良くはならないのではないかと、ナショナリスト

ある私は思うのである。

元特捜検事、弁護士の田中森一氏のベストセラー『反転 闇世界の守護神と呼ばれて』(幻冬舎)は大

変、面白かった。機会があれば、その本についても詳しく感想を述べたい。