生きること、書くこと 83
前航空幕僚長・田母神氏の論文を読んだが特に問題があるとは思えない。
むしろ立派な内容のものであると思われる。見解に相違があれば堂々と議論すればよいだけのことであ
る。
文民統制(シビリアン・コントロール)とは言うが、それなら政府見解が常に正しいのかという問題にな
る。政府見解なるものが押し付けられたものであったり、歪んだものであればそれは全ての国民の精神や
生活にとって害毒である。
田母神氏の主張は、そのような真に国益の観点から発せられた言葉であって何も軍事力を発動させようと
したり戦争を扇動しているものでないことは明らかだ。
今回の騒動は明らかに思想の弾圧である。というよりもこのような論文をどこからか見つけ出してきて犯
罪者扱いすること自体が日本の異常性の表れである。
新聞やTVなどのメディア資本が、戦争責任に関した問題をどこからか掘り起こしてきて冷戦下の2項対
立を国内的に活性化させプレゼンス(影響力)を高めようとする。学校での国歌斉唱や日の丸掲揚問題な
ど皆、同じである。
多くの国民はそのような見え透いた手法にいい加減、嫌気がさしている。ネット調査で田母神氏の支持が
過半数を超えているのはそのような国民の気持ちの表れであるように思える。
今日の日本の姿は外圧と国内的な“社会意識構造”の産物である。国内的な“社会意識構造”は見掛けは
正義や良心であるが国民意識とかなりずれてきている。
その“ずれ”の正体が一体何でありどこから生まれてくるのか、我々はよく見極めなければならない。