龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

おてて、つないで

本日、近くの証券会社に現金を引き出しに行っていた時のことである。その証券会社は、受付の近くの一画に簡単にスペースを仕切って作られた二つの接客室があり、私はその内の一室に入って、担当者が来るのを待っていた。隣の接客室には、年輩の男性が入っていて、若い女性の担当者を相手に何やら身の上話をしている。その話し声がよく聞こえてくるので、時間潰しに何気なく耳を傾けていたのであった。若い頃に親から結婚を反対されて、駆け落ちのように嫁さんと一緒になって九州から出てきたが、人が良いばかりに誰かの保証人になって多額の借金を背負うこととなり、毎日のようにヤクザがトラックで家までやって来て、何か回収できそうなものはないかと物色され、嫁さんが怖がっていたとか、貿易会社を始めて台湾と大理石の商いをしていたが、貧乏のあまり米を食えずに、茹でたキャベツばかり食べていた時期が何年間もあったとか、確かそんな話しであった。女性担当者は、口を差し挟むでもなく、ただひたすら「えぇ、えぇ」と相槌を入れながら聞いている。それでその男性の話しが、今の政治のことに移り、安倍総理について言った批評が、あまりに鋭くて思わず私は感心してしまったのである。そこでその話しを紹介させていただこうと思う。その男性は安倍総理のことを「あれは、ダメだ。」と言ったのである。どうしてかと言うと、どこの場所でのことなのかはわからないが、飛行機のタラップから安倍総理が夫人を伴って降り立つ時に、手をつないでいたということだ。その男性が言うには年寄りでもないのに何で手をつなぐ必要があるのかと、まだ50歳代なのだから夫人にそこまでの手助けは必要ないではないか、というのである。多少の怖さがあったとしても、手すりを持ってでもよいから夫人はタラップを介添えなしで降りてくるべきだと、ハイヒールを履いていて躓く恐れがあるというなら、ローヒールの靴にするなり、フラットな靴にすればよい、地上に降りてからどこかの場所でハイヒールの靴に履き替えればよいのだと、安倍総理が夫人の手をつないでタラップを降りてくる姿は、日本の顔としては失格だと言うのであった。なるほど言われて見れば、確かにその通りである。それは年老いて足元の覚束無い、自分の母親に対してすれば相応しい行為であろうが、同世代の健康な50歳代の妻であれば、そこまでする必要がないという以上にするべきではないと思われる。これは人によっては意見は分かれるかも知れないが、私もその年輩の男性と同意見である。安倍総理とすれば夫婦仲の良さを世界にアピールしようとの思惑があったのか、女性を守る仕草を取ることが世界共通のコンセンサスだと考えたのかも知れないが、それは違うのではないのか。仮にも女性の自立や社会進出の必要性を訴える立場であれば、飛行機のタラップぐらいは手などつながずに、颯爽とではなくとも、ごく普通に並び立って降りてくるべきである。欧米流の感覚と言うものは、いまいち私にはわからないが、そういう場面で社交ダンスをする訳でもないのに妻の手を取ると言うことは、場違いな振舞のようにも感じられる。仮に場違いでなくとも、安倍総理はTVに映らない時にも普段からそのようなことを夫人にしているのであろうか。私はその場面の放送を見ていないが、そういう何気ない仕草から安倍総理のある種の胡散臭さと言うか、中身の薄さを見抜いているその男性は、さすがに苦労してこられただけあって中々の慧眼であると感心したものである。想像ではあるが、そこには安倍総理という人間の、政治家としての本質から生ずる何かしらかの気配が漂っているような気がしないでもない。本物の信念のある人間は、一挙手一投足にも自然と信念が現れるはずだということである。皆さんはどのような感想を持たれるであろうか。所詮は二世の御坊ちゃまだから仕方ないのであるが。