龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

修学旅行で韓国は世相に相応しくない

どうしてわざわざ修学旅行の行き先に韓国を選ばなければならないのか。日韓親善使節を気取っているつもりなのかも知れないが、その考えは浅薄に過ぎないのではないのか。
反日感情や食品の衛生管理だけの問題ではない。それだけのことなら、いやそれだけのことでも保護者とすれば反対して当然ではあるが、3泊4日程度の日程であれば、まあ過度の心配は不要だと言えなくもない。しかし、それ以前の問題として韓国は、歴史認識において、特に日本に対しては平気で公然と嘘をつく国である。その高校の教師たちがどのような政治的信条を共有しているのか知らないが、そういう国に素直で従順な年頃の生徒たちを連れて行って、韓国側の虚偽の主張を、一生思い出に残るであろう修学旅行で印象深くも心に刻ませるような真似は、教育者として為すべき行為ではないのではないのか。歴史認識における韓国の嘘は、あまりにも多すぎて一々全部を列挙しきれないが、たとえば韓国への修学旅行ということであれば、恐らくはソウルの「景福宮」が訪れる名所としてコースに組み込まれていることであろう。景福宮とは大統領官邸の青瓦台が置かれている、李氏朝鮮時代の王宮である。現在は1868年の大院君再建当時の姿に戻す復元工事が行われているようであるが(2025年に完成予定)、韓国側は豊臣秀吉の出兵(文禄の役1592)による戦火で全焼したと主張しており、旅行ガイドにもそのように記載されている。その上に、ご丁寧にも日本人観光客向けに日本語で説明するボランティアのガイドまでがついて回るようである。
しかし実際には、秀吉の軍勢が来る前に、国王の宣祖(センソ)が首都の漢城(現在のソウル)から開城(ケソン)に逃亡したがために治安が崩れ、朝鮮の圧政と腐敗に不満を持っていた民衆が暴動を起こして、略奪、放火したというのが定説としての史実だ。ウィキペディアにも「1592年の文禄の役において、国王の宣祖が漢城から逃亡して治安が乱れると、先陣争いをする小西行長らの一番隊や加藤清正らの二番隊の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり再び消失した」とある。
景福宮」を広辞苑で調べると、韓国への配慮のためなのであろうが、「豊臣秀吉朝鮮出兵の際に消失」としてしか書かれておらず、ぼやかされた表現に留められているが、景福宮が朝鮮の民衆によって焼かれたことは歴史的な事実であると考えられるものである。韓国側の歴史認識における主張は、一事が万事この調子であり、とにかく日本を悪者にしておけさえすればよいというものでしかないものであり、真摯に誠実に歴史の真実を追求しようという姿勢など全く皆無である。それをまた裏返して、日本が歴史を正しく認識していないとか、うやむやにしているなどと言い掛かりをつけ、日本に謝罪と補償を要求し続ける姿勢が、未来永劫に亘って変わり得ない韓国という国の実態である。そういう国に生徒たちを修学旅行に連れて行って一体何になると言うのか。学校や教師たちは、理想を持つのはよいけれど、大体において世間知らずである。親善使節気取りの自己満足のために、健気な生徒たちを利用するのは是非止めていただきたいものだ。