龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

子供や天皇にまで土下座を要求する韓国のお国柄

高々、修学旅行の行き先の問題ではないかと、軽く考えてはいけない。過去には、広島県世羅高校の韓国への修学旅行において、生徒200人がソウル市内の独立運動記念公園で謝罪文を朗読させられ、土下座を強要されたという事件が起こっている。
現在、来月11月に予定された韓国への修学旅行を控えて問題になっている、滋賀県立国際情報高校が、世羅高校と同様に生徒たちに土下座させる恐れがあるなどとまでは言わないが、ソウルにある高校と姉妹校提携していることもあり、このような世相の下で韓国への修学旅行を強行するのであれば、親善旅行というより性質的には世羅高校のような謝罪旅行に通ずる所があるのではないかと訝られても仕方ないのではないのか。修学旅行でやってきただけの何の罪もない子供たちにわざわざ日本を代表して土下座させる場を設ける韓国が、国際的に見ても非常識極まりない国家であることは敢えて言うまでもないことだが、そういう非常識な要求に積極的に応えようとする日本の一部の教育とは一体、何なのだろうか。日本の戦後の教育はどうしてこうも捻じ曲がり、自虐的になってしまったのか。自らの主義、信条でどうしても韓国に土下座したいというのであれば、そういう思想の教師だけがプライベートに自費で韓国に行って、勝手にそうすればよいだけのことである。何なら朝日や毎日の記者たちも集めて、謝罪ツアーでも好きに組んでやればよい。そういうマゾヒズム的な自虐史観は、もはや個人の趣味、嗜好の領域の問題であって、そういうことをしなければ自分の生活や良心が成り立たないと考える人だけがやればよいことである。それを未成年の子供たちや国民一般を巻き込もうとすることなど絶対に許せないことだ。また、そういうことを偽善的に、日本の一部のマスコミや教育が誰かにさせようとする風潮があるからこそ、韓国は後ろ盾を得て際限なく増長してゆくこととなるのである。韓国とはそういう国なのだ。自国だけで普遍的な理性や良識を保ち得る地点にまでは権力や民度が成熟できていないのである。だから時に応じて恫喝してでも、あるいは媚びてでも白を黒だと言いくるめたり、黒を白だと言い張ることが当たり前のお国柄である。日本はそういう国家と無理をして友好関係を保とうとするから、健気な高校生だけでなく、今上天皇にまで土下座を要求される始末となるものである。マスコミは自分たちが煽り立ててきた結果に対して、きちんと責任を持とうとしないから正確に報道しようとしないが、先の韓国の李明博大統領が要求した天皇の謝罪とは、韓国の伝統的な因習による罪人が足を縛られて跪いてする謝罪、つまり日本風に言えば土下座のことに他ならないのだ。
日本の政治と報道は、結果的にこういう事態を招いてしまっていることをもっと謙虚に反省し、また日本人全体はこういうことに対して真剣に怒りを表明しなければならないと思う。日韓併合の歴史についても、日本は確かに敗戦国であるから、全面的に正々堂々と肯定し得ない立場にあるかも知れないが、冷静かつ客観的に見れば、李朝末期の国家としてまったく体をなしておらず、両班(ヤンバン)という一部貴族階級の支配下において腐敗と沈滞の極みにあった朝鮮社会に対し近代国家への土台を日本が築きあげたのは、紛れもない事実である。よって「良いこともした」どころか、本当はどんなに小さく見積もっても多大なる貢献をしたことは歴然とした史実なのである。韓国併合も韓国が主張するように日本が無理やり強要したものでは有り得ない。そもそも日本は韓国(朝鮮)と戦争していた訳でもないのだから、韓国は敗戦国の講和条約のように、無理強いされる筋合いのものでは有り得なかったのだ。現在の韓国大統領である朴槿恵(パク・クネ)の父親で、1979年に暗殺された朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領も日本の朝鮮統治を肯定的に評価していたぐらいである。
現在では朴正煕は親日家であったとして韓国では批判の対象にもなっているようだが、親日反日かという問題ではなく、当時はまだ歴史を正しく見ようとする精神が、韓国内にも残っていたというだけのことである。今や、全てを親日反日で区分するだけの韓国政治が病的なだけである。日本は朝鮮から富を収奪するために韓国を併合したのでもなければ、収奪すべき富も当時の朝鮮にはまったく存在しなかった。また満州に進出するための軍事拠点として朝鮮を立国した訳ではない。日清戦争後の下関条約1895)によって、朝鮮はそれまで属国であった清国から独立することとなったが、当時の欧米列強からの度重なる開国要求に対して、朝鮮は鎖国を続けたまま腐敗と汚職体質の階級社会であり続けようとしたものである。日本は朝鮮を清国から独立させた責任と、朝鮮を政治的に不安定な国のままに存続させ続けることは、やがては清やロシアなどの進出によって、朝鮮半島と距離的に近い日本にとっても大いに驚異となることから、日本は日本の力で当時の朝鮮を近代化させなければならない必要性に迫られたものである。よって収奪どころか日本は当時の日本の国家予算に等しいほどの莫大な金と労力をつぎ込んで、朝鮮に社会資本を整備し、また近代国家に生まれ変わるための技術を移転させていったものである。当時の朝鮮も、当時の判断では再び清国の属国に戻ったり、ロシアに支配されるよりは日本の統治下に入った方が、将来の国益になると自ら判断して1910年に韓国併合条約が結ばれたものである。もちろん朝鮮においては、一部の知識人や両班階級から強固な抵抗もあったであろうが、最終的には当時の李完用首相の判断、決断で日本の寺内正毅統監と調印がなされたのである。敗戦国に強要する講和条約ではなく、当然、朝鮮(正式には大韓帝国)は拒否する選択肢もあったが、自主的な政治判断としてそうしなかっただけのことである。そういう史実を、日本の政治家やマスコミ、また教師たちはきちんと知悉しているのであろうか。知悉していて友好のために敢えて曖昧にするのと、元々知悉していないから韓国の言われるままに唯々諾々と従うのでは全然、意味合いが異なってくるものである。日本は今や知悉していない人間が多すぎるから、生徒や天皇に土下座させようとする動きが事あるごとに出てくるのではないのか。とにかく韓国は交流するに値するような国家では有り得ないし、日本の国益にとってももはや諸悪の根源であるとすら言えるものである。何度も繰り返すが、日本は韓国と違って、思想、信条の自由が認められているから、それぞれの人間が自分の立脚に都合の良い考えを持てばそれでよいのであろうが、第三者の生徒たちや、いわんや日本の象徴である天皇に土下座させるとなると全く話はべつである。朝日でも毎日でも、日経でも日教組でも何でも良いが自分たちだけの趣味で勝手にやればよい。我々を巻き込まないでいただきたい。