龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本人は原発をいかに考えるべきか。

原発については、東日本大震災においてあれだけ悲惨な事故を引き起こしているのだから、脱原発原発廃止を求める声が政治や市民の間から大きく上がって来るのは当然である。しかしここは、そういう一部の政治の動きや市民レベルの原発反対運動とは別に、我々国民の一人一人が冷静に、日本の国益というものを総体的に考える必要性があるのではないであろうか。どういう事かと言えば、私は福島原発事故から日本人が学ぶべき教訓があるとすれば、それはこの世に絶対というものは有り得ないということをよく肝に銘じて、日本が壊滅的な被害を蒙る可能性についてのリスク管理を日々、真剣に行っていかなければならないことではないかと思うのである。原発安全神話などと言っても、10年や20年のスパンで見れば絶対に安全だと言う幻想もそれなりに有効であろうが、30年ぐらい経ってくると施設の老朽化、疲弊だけでなく異常気象や温暖化に伴う環境問題など、日本を取り巻く様々な状況の変化によって、内実的には非常に怪しくなってきているものである。しかし国民全体の長年の習慣による集団的な思考というものはそう簡単には変わり得ないものである。そしてそういう時にこそ、その幻想を打ち破るようにして日本に壊滅的な災厄をもたらす天災は発生すると見ることもできる。そういう視点で見れば、国家のリスク管理とは何も天災に限った事ではないのだ。これから先の世界情勢の在り方によっては、日本が再び核攻撃される可能性も確実に存在するのである。要は、その危険性を見る(認識する)か意識的に無視し続けるかという習慣的な姿勢と、潜在的な危険性の有無とはまったく無関係であることを我々はしっかりと認識しなければならないということである。日本は世界で唯一の被爆国として、核の拡散に反対し、当然、核兵器を保持していないが、しかし高度な原発の技術を有していることから、核兵器も作ろうという気になればいつでも作ることは出来るものである。その事実は、決して大きなものではないがそれなりの軍事的な抑止力として見れなくもないということである。世の中に絶対がないという法則に照らして考えれば、これからの日本が核兵器を開発し、有しなければならないという事態も絶対にないとは言えないのだ。絶対にないどころかアメリカが日本の核開発に賛同したり、後押しするようなことになれば、いつそうなってもおかしくはないものである。しかしもし将来的に日本が原発を完全に廃止して0にしてしまえば、その選択肢も消滅することになってしまうものである。これは自民党は絶対に口に出しては言わないけれど、恐らくは議員の誰もが胸の内に秘めている考えであると想像されるものである。人によっては日本が核を所有することなど間違っても許されないことだから、純粋にエネルギー政策としての原発施設が危険であることと二重の意味で、原発を完全に廃止すべきだと主張するであろうが、どうなのだろうか、私はその理屈はあくまでも市民運動的なものであって、国家の総体的な国益とかリスク管理に結びつくものではないと思う。そもそもこれまで何十年間も散々、原発に依存してきて、今回のように大きな事故が発生したから全て廃止だ、廃炉だなどと言っていれば、国家的なリスク管理の観点から見れば何の進歩もないものである。日本人の悪い癖で、単に極端から極端へと変移しているだけのことではないのか。原発事故に限って見ればそれが、つまり原発の全面廃止が正解と言うことになるのであろうが、我々国民レベルにおいてももう少し高度な政治的思考が求められるべき時代に日本は差しかかっていると私は考えるものである。
もちろん短絡的に核兵器開発の能力を保持し続けるために日本の原発を稼働させ続けよ、その冷たき炎を消すなと言っているのではない。そんなに単純な話ではなく、人類は長年をかけて開発してきた技術をそう簡単に捨て去ることは現実的には到底、無理であろうということだ。それはつまり日本だけの問題ではないということだ。最近においてもトルコの原発プラントを日本が受注したようであるが、日本はあれだけ大きな事故を発生させていながらの原発輸出は国際的に無責任であると言えるであろうか。そう考える人もいるであろうが、私はそうではないと思う。なぜならそれでもトルコは日本の高度な原発技術を信頼して発注してきているのである。というよりも世界的に安全な原発を作れる技術を有している国は日本を含めて、フランスやアメリカなど数カ国しかないのである。もし日本が将来的に国内で原発を完全に廃止してしまって、その技術の継承や新たな開発がなくなってしまえば、韓国のように稚拙でいい加減な技術の国がUAEで受注したようにどんどんと世界の後進国原発を輸出してゆく事態となるのである。そういうことを総合的に考えると、世界全体で、たとえば国連などにおいて原発の取り決めがなされるようなことでもない限り、日本の原発技術はそう簡単に後退させたり、消滅させる訳にはいかないと私は思うのである。しかしそうは言っても日本のように世界で最も地震が多発する地政学的な地帯で、四方を海に囲まれて日本そのものがアジア大陸の太平洋からの防波堤のようになっているような国土の至るところに原発施設が存在してきたという事実も、国の安全管理、リスク管理で言えば、そもそも無茶苦茶な話しではあったのである。核兵器で攻撃されるまでもなく、中国や北朝鮮に一斉に複数の日本の原発施設にミサイルでも撃ち込まれれば、日本はそれで一巻の終わりではないか。それこそ、あっという間のことだからミサイルを空中で撃ち落とせる訳がない。そういうことも含めての国家的なリスク管理なのである。私は日本は今後とも最低限度の原発稼働と付き合って行かざるを得ないと考えるし、また同時に軍事的な安全保障もアメリカ頼みで思考停止に陥ったままではなく、タブー視せずに国民レベルで積極的な議論が展開されるべきであると考えるものである。とにかく単眼的な視点で、馬鹿のように原発反対だけを叫んでいても何の意味もない事だけははっきりしているということだ。