龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政治と年齢について

75歳の細川護煕氏を否定、批判するためだけに言うのではないが、一般的に見ても政治家としての適齢期や年齢による能力の限界というものは厳として存在するのではなかろうか。体力の問題も当然あるであろうが、頭の中身の方がより重要であると言えるであろう。私の父は現在79歳であるが、日常生活に支障が出るほどには呆けてはいないが、半年前や1~2年前のことはほとんど覚えていない。その割には数十年前の些細なことは、記憶に残っていたりするようである。新しいことは覚えられないのである。それも当然のことであろう。毎日、何万個という数の脳細胞が死滅していっており、若い時のように脳の中を縦横無尽に無数の神経のシナプスを介して、直近の記憶を蘇らせるべく電気信号が流れるようにはなっていないのである。海馬などに深く刻印された昔の印象的な情景や記憶だけが残っているのであろう。そういう50歳の私自身が、数日前に読み終えたばかりの小説のタイトルが出てこなかったり、今、見終えたばかりの映画の話しを帰りに寄ったバーで話そうと思っても、映画のタイトルや主演俳優の名前が思い出せずに恥ずかしい思いをしたことは何度もある。芸能人や有名人の名前なども、生活に関係ないからであろうが、ほとんど口からすらりとは出てこない。もちろん個人的な能力差もあるであろうし、その人の置かれている境遇や社会的な地位、立場によっても大きな差が生じるであろうから一概には言えないであろうが、それでも政治家としての適齢年齢は60代ぐらいか、せいぜい70代前半迄ではなかろうか。日々刻々と変化する社会状況に対して、決して頑なにならずに柔軟に対処できる発想や思考の柔らかさという観点から考えてもそれぐらいが限界だと思う。もう一つの重要な要因は、こう言っては何だが、人間、死期が近づいてくると自分が死んだ後の世界に対して、一応、口では「子や孫の世代のために」などと美辞麗句を並び立てることはできても、その切実感というものがやはり薄いと思うのである。たとえば私の子供は13歳であるが、これから10年後の世界というものがどのようになっていくのかということは、親とすれば大変に切実な問題である。年寄りの悪口を言うつもりはないが、70代で10年後に生存しているかどうかわからないような政治家が、40代や50代の人間と同様に10年後の日本を心から切実に感じられるかどうかとなると非常に疑問である。繰り返すが、これは特定の政治家への悪口ではなく、普遍的に人間とはそういうものだと思うのである。そういう私もこれから20年後には(もし生きていればであるが)、考え方が変わっていて、本音のところでは10年後の若者世代のことよりも、残された自分の僅かな人生が平穏無事に過ごされることだけを希求する姿勢に変化している可能性は否定できない。後世のためにどうのこうのと言っても、やはり小さな子供を抱えている世代と老い先短い世代とでは感覚が違っていて当然であり、単純にどちらの感覚が社会的に優先されるべきかと言えば、近未来に対して切実感の大きい40~50代のものとならざるを得ないものであり、延いては政治家もその世代の人間が中心となるべきであると言える。これは何も今後の高齢化社会における老人の生存権を脅かしたり、福祉政策を排除するという方向性とは根本的に異なるところの、衰えゆく人間の肉体的な摂理に伴った健全な政治選択の在り方であると思う。極言すれば、その人の境遇とか肉体を離れたところの思想は存在しないとも言える。あの三島由紀夫だって1970年に45歳の若さで、日本のために七生報国などと自決したが、もし今でも生存していたら89歳になっており、ノーベル文学賞も受賞して悠々自適の生活の中で、国を憂うる思想を弄ぶだけの実質的には功利的な左翼連中とあまり変わらない思想に堕落していたとしても何らおかしくはないと想像するものである。非常に冷めた見方のようでもあるが、そういうものだと思う。もちろん政治家は若ければ良いというものでもない。たとえば大阪市長であり、維新の会代表でもある橋下氏などは40歳代で子供を6人も7人も抱えており、日本の将来を思う気持ちや改革への熱意に嘘偽りはないようにも感じられるのだが、一方で功名心に先走りし過ぎるようにも見えるところが鼻につくというか、欠点になっていると思う。今の時代の政治は、スターとかカリスマが求められているわけではないのだから、たとえ目立たなくとも地道にこつこつと、小さくとも確かな実績を積み重ねてゆくタイプが最終的には生き残ってゆくのではなかろうか。瞬間最大風速的な発信力とかメディアへの露出度はあまり関係ないと思う。其の辺のバランス感覚を兼ね備えた若くて有能な政治家がこれからの日本に多く登場することを願うものである。年老いた人間の何とか劇場というような類のものは、もう日本には必要ないと思う。