龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日曜の立ち読み

昨日の日曜日、難波の街を歩いている時に、ブックオフの前で単行本の古本が店前のワゴンに大量に山積みで売られているのを見て、暫しの間、足を止めて立ち読みした。タイトルは忘れたが、評論家の佐高信氏の著作で、奥付を見ると2001年に発刊されたものであった。今から13年前である。相も変わらず従軍慰安婦の問題で、小林よしのり氏が何かの番組対談で(恐らくは、田原総一郎氏の下らない徹夜番組だと思われるが)、「元従軍慰安婦の人は結局はお金が目的なんでしょ。」と品位に欠ける発言をしたところ、辛淑玉(シンスゴク)という女性活動家が、煮え返るような怒りを抑えつつも冷静に「それはあまりにも人間を侮蔑した言い方だ。」と反論したのが、実に見事であったなどと書いている。何を言っているのか。何をか言わんやである。戦争中のことだから、確かにいろいろなことはあったであろうが、それでも70年以上前の事実関係について、それも1965年の日韓基本条約において解決積みであるべき事案が、現在においてもいつまでも延々として蒸し返され、論争されていることが尋常ではないのだ。慰安婦問題で日本に永遠に難癖を付け続けることが、韓国という国家、国是の中核で、存立の要になっているのではないかとも思われるほどである。その一方で、韓国がベトナム戦争に派兵した時に犯した性犯罪やライダイハンの問題は、慰安婦の問題などとは違って、明らかに議論や検証の余地なく非人道的な行為であるはずなのに、国家的にはほとんど無視された状態であるに等しい。また慰安婦問題を批判し続ける日本国内の言論もそういう韓国の歴史事実についてはまったく触れようともしない。これでは「人間への侮蔑」以前の問題である。日本は未だに安倍内閣の下で、河野談話の再検証だ、引き継ぎだなどと何をやりたいのかわからないようなことを、むにゃむにゃとやっているが、いい加減にしたらどうなのか。見直しできないもの、する気のないものを再検証したところで何の意味もないし、そもそも対外的には解決済みであることを各地への慰安婦像建立などで日本の地位を執拗に貶めようとし続ける韓国の姿勢に対してこそ、日本の側からは外交凍結の覚悟を持った強い意思で抗議しなければならないことのはずである。アメリカが日本に何を要求しようと、それは別の問題である。安倍総理には、恐れずに玉虫色にごまかそうとするなと言いたい。そういう態度は結局は内からも外からも信頼を得られない結果にしか結びつかないものである。また私が立ち読みした同書では、小沢一郎氏の「普通の国論」なるものも論じられていたが、2001年の時点では小沢氏は日本は憲法を改正した上で、軍隊を常備した普通の国になるべきだという考えを有していたのである。それがいつの間にやら、個人的な蓄財に励んでいる間に考えも変化したのであろうか、今の小沢氏から憲法改正への声が聞かれる気配はまったく消滅してしまっている。小沢氏といい安倍総理といい、日本の政治家とは本当に訳の分からない人種である。