龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

憲法を考える

「占領軍の素人が数日間でつくり、押しつけた憲法」。改憲を求める人々は、現行憲法をこう批判する。だが、「素人」が国のかたちを決める法に関わってはいけないのだろうか。
今朝の朝日新聞、朝刊の一面に掲載された「憲法を考える」についての記事書き出しである。見出しは、「普通の人々、普遍の理念」「明治の草案に理想の源流」として、明治時代に民間人によって作られた私擬憲法である、五日市憲法草案が紹介されている。今の時代に、民間人の視点から憲法を再考するという試みは間違ってはいないであろうし、いかにも朝日新聞らしい世論誘導ではあると思うが、どうなのだろうか。一々新聞記事の内容に難癖をつけるような文章を作成することは私自身、大変に心が重く、精神的に消耗するだけのことのようにも感じるが、それでも何か言わざるを得ない気持ちに追いやられる。いつもながらに表面的は尤もらしいが(これが朝日新聞の最大の特徴である)、そういう問題ではないであろう。「素人」が、とか「玄人」とかそんな区分は何の意味もないとまでは言わないが、日本は「間接民主主義」の政治システムを採用している国であるから、素人の考えや意識を前面に押し出して、国民が国家権力を統制するための憲法を新たに作ることなど土台、無理な話であろうし、果たして仮に現行の憲法をそういう性質のものに改変したところで、それで本当に新憲法が、国民の幸福に貢献する土台になるとは到底、考えられないものである。同様に現行の憲法が、終戦直後にGHQの指揮下で選任された「素人」によって作られ、押し付けられたものであるからと言って、それが理由で否定されなければならないことにはならない、とする理屈もどこかおかしい。素人がどうのこうの、という視点は、憲法を考える上で問題の本質をごまかしたり、すり替えるものでしかないのである。朝日新聞の論説は、いつもこの調子である。外は天気の良いGWだというのに、本当にうんざりとさせてくれる新聞である。護憲派の人々は、日本の現行の憲法は確かにGHQによって戦争直後に押し付けられたものであるが、そうであっても第9条は内容が普遍的に優れたものであるから、絶対に改変せずに守り抜くべきであると主張する。憲法だけに関して言えばそういうことも言えるかも知れない。だが実態はそうではない。米国が憲法だけを日本に押し付けておいて、あとはその憲法を手本にして、日本独自の民主主義をしっかりと作り上げてくださいというのであればそもそも何の問題もなかったのである。しかしそうではない。戦後の米国の日本に対する占領、統治はそんな生易しいものではなかったのである。むしろ米国にとっては新憲法の条文内容などさほど重要ではなかったのだと考えられる。だからこそ僅か8日間ぐらいで、素人に作らせたのであろう。米国は憲法内容よりもはるかに重大な政策として、戦後の日本に、米国にとっての都合の良い「日本の民主主義」そのものを作り上げ、移植させたのである。その民主主義には当然、日本のメディアも含まれていた。というよりも米国による日本のメディア支配そのものが、戦後の日本の民主主義の形そのものであったと言えるのである。もちろんメディア支配と言っても、中国のように表現を検閲したり、弾圧するといった性質のものではない。それでは民主主義とは言えないからだ。民主主義を作り上げ、移植するとは、言論の対立軸を作り上げ、背後からその対立軸を通して日本政府を米国の都合の良いように(控えめな言い方をすれば決して米国に歯向かわないように)コントロールすることを意味しているものである。よって保守系の読売新聞や産経新聞、左翼の朝日新聞毎日新聞などの論説内容や対立の構図は全て歴史的に大元のところでは、米国の日本に対する統治政策を反映させたものなのである。前回に私が述べた朝日新聞マッチポンプ的な平和主義というものも、朝日新聞は決して認めようとしないであろうが、元を正せば米国の日本に対する占領、統治の中で半ば強制的に移植された民主主義の様式から生み出された思想、正義であって、それこそ普通の人々や素人の理念からは、最もかけ離れた性質のものなのである。つまり日本の今の民主主義というものは、言わばまがい物であって、真の民主主義とは言えないものである。戦後70年近くも経つと、終戦直後とは異なって、日本が第二次世界大戦時のように米国や欧米諸国を相手に再び、勇猛果敢に戦火を開く可能性など0である。よって米国にとっても終戦直後と現在では、対日政策の性質が大きく様変わりせざるを得ないことは想定しているはずなのである。今日においては、日本は米国と同盟関係を保ちつつもその歴史的なくびきから離れて、真の自立、独立国家へと生まれ変わるべく歩み始めるべきであり、その姿勢は国際社会からも幅広く容認されるものである。そのための憲法改正、自主憲法の制定なのである。日本は憲法改正という通過儀礼を経ないことには、決して内側からは変われないものである。ところが日本のマスコミは、特に左翼系の朝日新聞毎日新聞などは本質的に、戦後の米国の統治政策の延長線上にその存在意義が付与されるような社会構造の中で何とか余命を保っている有様なので、当然、憲法改正にも強く反対しなければならないこととなるのである。よって朝日や毎日、そして通信社もそうであるが、はっきり言うが日本のことや国民の幸福など何一つとして考えていないことは明白であるし、結局はごく限られた範囲の自分たち近辺の利益しか追求していない内容の主張なのである。偽善、欺瞞そのものだ。どんな反論があろうと、これを私は言い切る自信がある。憲法改正とは本質的には、日本が真の民主主義国家に生まれ変わるための内政問題であり、それは主にマスコミ利権と深く関わるところの日本の構造問題であるとも言えるものである。