龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

パラレルな座標軸

朝日新聞の論説はいつも「座標軸」が歪んでいる。真面目に読んでいると、多元宇宙のパラレルワールドか何か知らないが、別次元の空間に連れてこられたような、ぐにゃっとした奇妙な感覚に包まれる。そういう感想を持つのは、私だけなのだろうか。それとも朝日新聞の編集者や信奉者は、もしかすると本当に別の世界線に住んでいるのだろうか。そうであれば、この同じ(ように見える)世界の住人でありながら、思想や意見はどこまでも平行に交わらなくて当然である。今朝の朝日新聞、朝刊一面では、「座標軸」と題した論説記事において、論説主幹の大野博人氏が集団的自衛権の行使容認を可能にする憲法解釈に反対する立場から、次のようなことを述べている。 曰く、
“東アジアの国々も、武力衝突にはなっていないものの、相互の不信と憎悪を政治家やメディアがあおったあげく、対立を「終わらせる」のに苦労している。”
内容を簡単に要約すると、「終わらせる」のを難しい戦争を、「始める」ことを自ら禁じるのが平和憲法であり、「始める」ための改憲を許してはならないという趣旨の主張である。いつもながら一見するところは尤もらしい主張なのだが、引用部分に関して言えば、東アジアの国々(つまりは日本と韓国や中国ということであろうが)における相互の不信と憎悪をあおっている張本人は一体、誰なのか。日本の政治家は決してあおってはいない。あおっているのは、政治的に利用し続けようとしている中国と韓国の政治家であって、その動きを誘導させたり、加担しているのが朝日新聞を筆頭とする日本の一部のメディアではないのか。つまりは朝日新聞の論説とは、マッチポンプそのものであって、自分で火をつけておいてから、消火しようとする仕組みである。巧妙に対立をあおっておきながら、大上段に平和や友好の尊さ、大切さを唱え続ける永久運動が、朝日新聞の本質であると言えるのである。そして、そのような左翼言論の歪んだ座標軸が、戦後の日本の民主主義そのものになってしまっていることが、現在における日本の様々な問題の原点なのである。よって集団的自衛権の問題はともかくとして、憲法改正の要諦とは、安全保障上の環境の変化や外交に関することではなくて、あくまでも内政における日本の民主主義の有り方を一から作り直してゆく必要性を認めるか、どうかという点にある。朝日新聞のようなマッチポンプの平和思想を一旦、打ち壊して、新たな日本の精神を再構築していかないことには、いつまでも日本は敗戦国家として戦争責任を問われ続ける堂々巡りの環から脱却することは不可能であると認識できるかどうかだ。このような意見が出てくると、恐らくは、毎日新聞時事通信あたりから、大衆に睨みを利かせるようにマッチポンプ的な報道がまたぞろぞろと頻出してくることになるのであろう。私は、これまでのパターンからマスコミの基本的な思考回路は大体のところはわかっているつもりである。マスコミ権益を保持するための平和という名の情報操作は、今の時代のように既存のマスコミ権益が衰退するほどに先鋭化してくるものである。そう言う意味では行動原理的には、マスコミもまた北朝鮮のような一つの国家なのである。朝日新聞を初め、メディア論説の座標軸の狂いや歪みを見極め、読み取る力を多くの人、特に若者たちに有していただきたいと心より願うものである。しかし敢えて付け加えれば、朝日新聞にはまだメディア(本当は朝日新聞と書くべきだが)もまた相互不信や対立をあおっていると認めるだけの、一抹の良心の呵責というか、正直さが残っていることは、幾分、民主主義的である。決して可愛げはないが。