龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

左翼的な対話について

「対話」という言葉に拘りたい。対話の継続が必要と言われれば、それをあからさまに否定し難い無言の強制力がある。朝日新聞は、日韓問題に対してこの対話が必要という主張で日本の政治や世論に対して、影響力を一貫して行使し続けてきたものである。今も朝日の基本的な論調は、変わってはいない。日本の左翼の本質とは何なのか、なぜ韓国の立場に寄り添い続けなければならないのかということは、短く簡単に説明できることではないが、この朝日新聞的な韓国との対話が必要であると主張し続けるプロパガンダの日本全体に及ぼす呪縛というか、グリップ力が、戦後の日韓関係を底流から規定してきたものであることは確かである。言葉というものはそれほどまでに大きな力を持っているのである。左翼の言葉の用い方は、言葉に本来的に内在する中身や意味を殺して、言葉の外殻の強制力を最大限に発揮させる方向性に向かうものである。言葉の操作で人々の思考様式を異空間世界に誘うように歪めたり、バランス感覚を突き崩して価値観や評価を反転させようとする。よって左翼が反日と結びつくことは、現実社会の見方を鏡像化させる精神性から当然のことであって、イデオロギーや理想などとは何の関係性もないものである。対話の継続が必要と一言、朝日新聞が書くだけで、日本は『鏡の国のアリス』のように反転した世界の中に閉じ込められてしまう。もちろんそこには政治の脆弱性や主体性の欠如が要因として認められるにせよだ。極論すれば戦後の日本や日本人は、朝日新聞の左翼的な魔法の力で世界を正しく考えたり、感じたりすることを妨害されてきたものである。それが左翼的な反日商法の正体である。対話と言っても、朝日新聞毎日新聞が使う場合の用法なり意図は、まっすぐで健やかなものではあり得ない。なぜなら対話が成り立たないことがはっきりしているにも関わらず、対話を要求しているからだ。たとえば朝日新聞論説委員や記者に聞きたいが、自分自身が何かのトラブルに巻き込まれてその相手が、非常にタチの悪い人間で、平気で嘘をつく、約束したことは守らない、自分の非は一切認めず、こちら側の責任を一方的に責め立てるばかりでまともな話し合いが到底、成立しないような状態にある時に、何よりも対話が第一だなどという「信念」を守って話し合いによる解決の姿勢を延々と続けるであろうか。そんなことは有り得ないであろう。それが個人的な問題でなくて朝日新聞社と誰かの紛争であっても同じである。また自分自身の問題ではなくて、自分と仲の良い友人や或いは家族がそのような困難な状態にある時に、本当に対話し続けろとアドバイスするであろうか。しないだろう。だから朝日新聞は偽善だと言うものである。国と個人は違うと反論するかも知れないが、そのようなことはない。国家間の外交交渉も結局は、政治家や役人の人と人の交渉であることに変わりはない。もちろん国家と個人や法人では抱えている背景の重みが違うので同じレベルの議論でないことは当然であるが、行き着くところは同じである。日本は朝日新聞のおかげで何十年間も延々と韓国と無意味で無駄な対話を続けさせられてきたのである。そこに費やされた時間や労力、補償的な性質の金は莫大なものであろう。現実的に対話が成立しないのに対話しろということは、相手(韓国)の要求がどれほど理不尽で筋違いのものであっても、受け入れろと言っていることと同義であるからだ。それが朝日新聞的な、左翼的な対話という言葉の真意である。そして今尚、朝日や毎日は日本の政治に韓国との対話を要求している。我々はいつまでそのような反日商法を黙認しなければならないのであろうか。