龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

TBSの反日報道と放送法第4条について

放送法第4条の、政治的に公平であるとか、事実を曲げないという取り決めは、外交問題についてこそ正しく運用されるべきである。TBSの報道姿勢はこの指針から大きく逸脱しているように感じられる。「サンデーモーニング」で悪化する日韓関係を特集して、コメンテーターの青木理氏は今の日本の論調は韓国批判一色で、政治とメディアが嫌韓を煽っているせいで、韓国には何を言ってもいいような乱暴な言論状況になっていることが危惧されるというような発言をしたとのことである。青木氏が「冷静になって考えよ」という言い草は、左翼系の朝日新聞などの世論誘導に共通したものであるが、日本全体が冷静さを失って感情的になっているゆえに韓国への不当な批判に終始していると言いたいのであろうが、その見方なり見解は公平で、事実を曲げていないと言えるであろうか。日本人は、日本のTV局に対して日本に有利になるような報道を期待してはいない。そのようなケチな配慮をTVの報道に望んでいるような日本人は皆無に近いのではなかろうか。客観的に見てそれが韓国の日本に対する政治や報道と180度の隔たりがあることは左翼であろうが何であろうが、否定できないはずである。日本の韓国批判の原因がどこにあるのかと見れば、韓国の一貫した日本批判一色がそもそも日韓問題の基底をなしていて、韓国の日本に対しては何をしても許される、どのような嘘であっても正当化されるというような常軌を逸した政治、報道姿勢にあることは明らかであるはずだ。日本の政治は嫌韓を煽っているどころか、反対にこれまでずっと韓国との融和政策をかなりの無理、我慢をして推進してきたものである。それに対して韓国は国際協定を無視した徴用工判決を支持するだけではなくて、レーダー照射事件でも子供じみたような嘘の反論で反対に日本に謝罪を要求するし、産経新聞の元ソウル支局長、加藤達也氏がセウォル号沈没事故に対してパク・クネ大統領に批判的な記事を掲載して、削除要請に応じなかったことで名誉棄損容疑で起訴され、長期間の出国禁止処分になっていた問題でも同様である。その他の細かなことを列挙していけば切りがないであろうが、「冷静に」見れば韓国が常に、日本の対韓国融和姿勢を無視するように、反日政治を過激化させてきたことが、日韓問題の原因であることは歴然としている。今回のホワイト国除外の決定も、日本は安全保障上の世界基準の責任を粛々と履行しているだけであって、それに対して限度を超えた不買運動や対日批判の市民運動を韓国の政治が煽り立てていることが発端なのであり、日本の韓国へのきわめて常識的な怒りや批判が不当で限度を超えているかのようなTBSの報道は、明らかに放送法4条に抵触していると考えられるものである。それから青木理氏は、日本人女性が韓国に旅行した際に韓国人男性から声を掛けられたのを無視して髪の毛を引っ張られる暴行を受けた事件に対して、報道するほどの価値がないというような発言もしているようであるが、これも政治的に公平であると言えるであろうか。むしろ私は報道の実態は反対であると思う。髪の毛を引っ張る程度のことであるから、韓国や日本の報道機関は取り上げたのではないのか。韓国も民主主義的な対応をしているという対外的な宣伝になるからである。これが仮に日本人旅行者に対するレイプや詐欺などの重大犯罪であれば、日本の報道や外務省は問題として取り上げるであろうか。韓国の日本に対する強硬な政治姿勢から判断しても、外交問題に発展することを忌避して報道されることは有り得ないであろう。現実に私はそのような報道内容をこれまでに見たことが一度もない。それは日本人が韓国でそのような被害にあった事件が一度もなかったということを意味しているのであろうか。私には到底、そのようには考えられないものである。実際に身の回りでも、韓国でぼったくりの被害に遭遇したというような話しはいくらでも聞いている。ぼったくりや女性が路上で髪の毛を引っ張られる程度のことは大きく報道する価値がないというのであれば、それ以上の重大事件が政治的な圧力の元でもみ消しにされている可能性について言及することが、放送法第4条の政治的な公平性や、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにするということの趣旨ではないのか。結局、TBSが公共の放送を通じて行っていることは、日本の正当な感覚、主張を捻じ曲げて、言葉巧みに韓国への批判を展開し難い世論を作り上げているだけである。TBSの政治報道はそのような反日姿勢が一貫しているものである。反日でありながら権力と底流で結びついていることが悪質なのである。そのような報道機関に健全な権力の監視や民主主義の醸成などできる訳がない。私は日本の将来のためにはTBSから放送免許を剥奪すべきだと考えるものである。