龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

TBSの精神構造は日本の弊害である

結局、TBSの「サンデーモーニング」に出演していた青木理氏が言っていた、TBSが青木氏に言わしめていた、韓国に対しては何を言っても良いという乱暴な論調があるということの真意は何かと言えば、自分が聞きたくない、受け入れたくないような報道機関の言論や世論の動向は、理性を逸した感情的で乱暴な主張であるから自制されるべきであり、反対に好ましく感じている反日的な内容の批判や主張はどれほど筋違いで支離滅裂なものであろうと正当的なものとして日本国民に受け入れさせるための世論操作であると言えよう。そのために問題全体の本筋とは直接、関係ないような些少な暴言や失言を言葉狩りのように捉えて、あたかもそれが日韓問題の本質であるかのように報道番組を通じて誘導しているものと見れる。たとえば日本人女性が観光で韓国に行っている時に髪の毛を引っ張られる暴行を受けた事件を受けて、某大学教授が、「日本男子も韓国女性が、(日本に)入ってきたら暴行しないといかん」などという発言は確かに失言であって、TV番組で言ってはいけないようなことではある。しかし客観的に見て韓国人女性観光客が日本で暴行を受けた実数や暴行を受ける可能性を、日本人女性観光客が韓国で被る暴行の実数、可能性と比較して見れば、具体的な統計データは政治的な理由で公表されていないであろうが、後者の方が前者よりも比較にならないほど多いことは明らかではないのか。というよりも日本人が、旅行で日本にやって来ている韓国人女性に対して暴行したような事件はこれまで一例もないのではないかとすら思えるほどである。本来はそういう事実が日韓問題の本質ではないのか。その状況を考慮すれば、暴行しないといかんなどという失言は、日本の品位のために戒められることが必要であるにせよ、それを韓国に対しては何を言っても良い風潮が蔓延しているなどと日本の言論全体に共通的な特徴であるとして一般化するような世論操作は、公共の放送局に求められる政治的な公平性や偏りの無さから考えてきわめて不適切であると言えるのではないかと言うことである。TBSとか朝日新聞などのいわゆる左派言論が、日常的に展開している主張はそういう論点のすり替えばかりではないか。まだ新聞は文字が記録として残るので、その気になれば後からその世論操作の痕跡を検証することができる。しかしTV番組の報道は視聴者の頭に対して映像と音声の情報だけなので、痕跡はたちまちに消滅してしまって、漠然とした印象だけが残ってしまうものである。そしてそれがTV報道による洗脳手法であると考えられる。放送法4条を厳密に捉えて、完全無欠の政治的な公平性であるとか中立をTV局に要求しているものではないし、またそのようなことは現実的に不可能であろう。全ての人間はどちらかに偏っているものである。神のような絶対的な超越など有り得ないものであるし、寸分の狂いもないような公平性を人間の精神に期待することは、人間性の否定に等しいものであるとも言えよう。すなわち多少の偏向は許されるし、仕方がないものであろうが、問題にされるべきはその程度である。TBSの偏向、世論誘導の程度は、私は明らかに限度を超えていて、放送法4条に抵触しているものと考える。物事の真相を180度裏返すような印象操作を平然と行っているではないか。日本の韓国に対する論調は全体的に見れば、極めて自制的で冷静な性質のものである。むしろ自制と冷静の度合いが強過ぎることが問題であると言えるほどである。日本の政治も世論も韓国に対しては感情的にはなっていない。韓国の日本に対する筋違いの激昂感情に巻き込まれているだけのことである。それを天地をひっくり返すように、日本は韓国に対して何を言ってもよい乱暴な論調が支配しているなどと決めつける態度は、一体、何事か、何様のつもりなのかと言わざるを得ない。TBSの偏向報道は余りにひどすぎるのではないのか。公共性に資するということの謙虚さや倫理観を一欠けらも持ち合わせていないのであろうか。自分が聞きたくない、直視したくないような事実は感情的な暴論だと言って退け、好ましい内容は嘘や難癖であっても理性的なものと認める。それが日本の左翼の精神構造である。言ってみれば、それは夫婦喧嘩に見られる思考回路である。本当の夫婦喧嘩であればそのようなレベルのやり取りであっても許されるのかも知れないが、ことは国民の生命、財産にも深く関わる国家間の対立であるのだから、TBSのような報道は日本にとって重大な障害、罪悪であると言えるのではないのか。日本のマスコミ権力の在り方を冷静に見つめ直すべき時である。