龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

治療の必要な左翼の病理

批判の矛先にされている週刊ポストの韓国特集を買って読んだ。時間を掛けて熟読したが、週刊誌としてそれほど特異な内容であるとは到底思えないし、何がそれほど問題なのかひたすら疑問である。「嫌韓」と言われれば、そういうカテゴリーに分類されるのかも知れないが、客観的に見て嫌韓を煽っているものではないし、嫌韓に媚びているとも思えない。当然、記事を読む人の立場や思想によって受ける印象は異なるであろうが、一般的に見れば極めて妥当で、真っ当な内容のものである。嘘や誇張を書いているようなものでもない。但し敢えて言えば、特集の最後に掲載されていた、韓国人の精神病理学的な怒りを抑えられない「火病」についての記述だけは、週刊ポストが誤解を与えかねないと謝罪をしたことは賢明な判断であったと思われる。なぜなら韓国人の国民性というものと韓国の異常な反日政治は、私の見解では、因果関係の関連性はゼロではないであろうが、それほど大きいとは思えないからである。表面的に見ていると確かに韓国人的な火病がそのまま反日を生み出しているように思えるであろうが、そうではないと言いたい。どういうことかと言えば、単に民度の低さが問題なのである。権力と国民の関係性は、韓国だけではなくて日本も或いは欧米諸国も同じなのであろうが、言ってみれば親と子供の親子関係に近いものだと言える。小さな子供は精神的に自立していないし、正しく物事を判断する能力も持ち得ていないから、親の感情に振り回されてしまうものである。親の感情に適応しないと一人では生きていけないのであるから当然のことである。それが韓国の国民感情としての反日の正体であり、本質だと考えられる。小さな子供は親の感情の呪縛がないところでは、あっけらかんとしてそれまで親が交遊を禁止していた友達と仲良く、楽しそうに遊んだりするものである。日韓関係もそれと同じではないのか。火病は、韓国人全体の性質というよりも韓国の政治や報道など一部の支配者階層の特性であると考えられる。韓国の政治や報道の火病が、親のヒステリーのように子供のような弱者としての韓国人全体を巻き込んで、日韓問題という騒動を引き起こしていることは明らかである。日本の嫌韓が日韓の騒動の原因になっているのではない。日本の嫌韓は、韓国政治の日本に対する火病的な攻撃性と不誠実さが決して改められないことが原因なのであって、商業主義的にマーケットとして嫌韓ブームが維持されているようなことなど有り得ない。それは単なる左翼の歪んだ精神構造が生み出している妄想に過ぎない。小さな子供も成長していけば、自分の親であっても間違いや未熟さをたくさん抱えて生きていることを理解するように変化してくるであろう。それがすなわち民主主義の進歩というものではないのか。青年期には反抗期を向かえて子供は親と深刻な対立を経験することにもなるであろう。しかし子供はその通過儀礼を経験しないことには、精神的に大人にはなれないものである。いつまでも親の言いなりであれば、30歳になっても40歳になっても中身は5~6歳の子供と変わらないということになりかねない。国家の歴史的な時間軸で見た民主主義の進捗もそれと同じではないのかということである。日本もあまり、よその国のことは言えないが、韓国は5~6歳の子供のように親である政治のヒステリー感情に巻き込まれて反日に同調しているものと見れる。それがすなわち現在の韓国の民度だからだ。しかし韓国人そのものが、10人に1人であっても、精神医学的に治療の必要がある病理だと言えば、それは差別やヘイトを指摘されても仕方がないという論理を韓国に与えてしまうこととなるので、誤解を生む原因になったとして一応の謝罪をしておけばよい。その他の記事内容に関しては何の問題もない。そもそもこの週刊ポストの韓国特集について批判している文化人と称せられる人々は、きちんと記事を読んでいるのであろうか。少なくとも私は買って、読んで、自分の頭で考えてからこの記事を作成している。新聞広告画像の「韓国なんて要らない」という見出しだけを見て批判しているのでは、文章やコメントを生業としている職業人として、あまりにもお粗末すぎるのではないのか。敢えて名前は出さないが、日本の女性野党政治家にしても同じである。そのような調子では日本が嫌韓に染まってしまっているなどと危惧する以前の問題ではないのか。自己批判できない者に他者を批判する資質はない。恥を知れと言いたい。