龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

とにかく捕まらないように気をつけよ

あいちトリカエハナーレ2019とは面白い試みだな。愛知県だけではなくて、是非、大阪でもやって欲しい。大阪でなくて京都や神戸でも見に行きたいとは思うし、入場料が無料であるなら千円や2千円ぐらいであれば寄付してもよい。というよりも一地方都市の一日開催であるなら見に行きたくとも、行けない人がほとんどであろうし、会場費や作品製作費などでお金も掛かることであろうし、全国的に支援したいと希望する人はかなり多いであろうから、大々的に募金を呼びかければ良いのではなかろうか。継続した芸術イベント活動として今後とも質と量の充実を追及して欲しいと願うものである。その上でその芸術祭の中身について注文を付けたい。まず愛知県の大村知事によって強行的に再開されたあいちトリエンナーレ2019を諧謔的に風刺したり、批判する「芸術」作品であれば誰も文句をつけて、中止するように圧力をかけることはできないであろう。またベトナム戦争時に韓国軍がベトナム人女性を強姦した結果、生まれた多数のライダイハンも歴史的な事実なのであるから、それを芸術として表現することはヘイトでは有り得ないし、トリエンナーレ慰安婦(こちらの歴史的な真実性は怪しいものであるが)像との関連から言っても許容せざるを得ないはずである。日韓断交を喜び、促すような芸術作品も好ましいし、個人的には大村知事の写真を燃やして、灰を足で踏みつけるような映像作品も是非、展示して欲しいと思う。しかし朝鮮人や韓国人の民族差別を少しでも指摘されるような表現はご法度である。韓国が嘘吐きで、信用ならない国であることは100%の事実で、否定しようのないことであるが、それは韓国という国の権力体質や歴史的な事大主義の精神性によるものであって、一人一人の韓国人が韓国の政治家のように平然と嘘をついたり約束を反故にするような性質であるかと言えばそんなことは有り得ないであろう。ましてや犯罪傾向が高いと言うこともないはずである。韓国の政治のレベルが低過ぎるゆえに民主政治の民度が日本に比べて極端に低いことは事実であるとしても、それは民族性や血統によるものではなくて、韓国政治や一部の財閥、マスコミなどの日本に対するコンプレックスと虚栄心が生み出したものの投影に過ぎない。よって一般の権力とは無縁の韓国人も本当は韓国政治の被害者なのであって(加害者という意味ではそのような韓国の反日政治を常に擁護する立場の日本の左翼も同類、同罪であるが)、自律的な発展、成長の可能性が政治的に抑圧された非常に気の毒な民族であると言えよう。私は韓国人の個人的な能力は、オリンピックなどのスポーツ競技だけでなく,音楽などの芸術や学術的な分野においても、日本人と同等かそれ以上だと見ている。だから本当はもっと国際的な競争力や生活水準も高くて当然なのであろうが、政治に中長期的な国造りの意識が皆無で、嘘をついたり、ごまかしたり、国際的な協定を反故にするような目先のことばかりに政治を傾注させているので、いつまで経ってもまともな国に成りゆかないのである。国民レベルの潜在的な能力がどれほど高くとも、それではノーベル賞を取る人材が育たないことは当然であろう。よってそういうことを芸術作品として表現するのであれば良いであろうが、韓国人そのものを犯罪傾向の高さや品性のない精神性の民族のように表現してしまうとそれはヘイトになってしまう。そこは要注意である。というよりも韓国の政治権力体質と韓国人の民族性、国民性をどうしても混同してしまうということであれば、そのような微妙な境界には言及しない方が良いのである。現実問題として日本国内では一旦ヘイトを指摘されてしまえば、それがどのように不均衡で不平等なものであっても、表現の自由は却下されて犯罪者のように処遇される可能性が高いからだ。それに権力とは何の関係もない韓国人や在日の人間を批判、罵倒したところで何の生産性もないものである。そんなことよりも、今、我々日本人が第一に批判すべきは日本の左翼である。韓国の反日政治の半分近い構成要因は、日本の左翼の同調圧力によって担われているものである。むしろ日本の左翼の反日が韓国の反日を誘導、扇動しているものとも考えられる。具体的に言えば大村知事のような政治家が日本には無数にいるから韓国の反日政治はいつまで経っても終息していかないものである。日本の左翼はヘイトの概念を自らに都合よく恣意的に適用することを武器とし、また各地方の条例として制定するまでに至っている。そこには全体的な統合性や平等性といった観念が無視されている。日本の左翼が、天皇の冒涜や慰安婦像で日本人の国民感情を傷つけるようなことをしてもヘイトとは見做されないが、反対に韓国批判をすれば表現の自由は認められずにヘイト条例で取り締まられる可能性が高い。前回にも述べたことだが、日本の左翼はそういう点においては非常に動物的なのである。全体的な統合や均衡性を度外視して、分離、分断された状況の餌に食らいついて、一旦、食らいつけば死んでも獲物を口から離そうとはしない。朝日新聞やTBSなどは状況による程度の差こそあれど、基本的にはそのような精神構造である。日本人は左翼が唱える正義と言うものの中身と性質をよく吟味する必要性がある。そこには危険極まりない毒が含まれている。その毒性の高さに気づかないままに我々日本人が真剣に日本のことを思って何事かを主張、表現していると、カフカの不条理小説ではないが、ある日急に逮捕されて投獄の憂き目に会う危険性が高いと言うことだ。心ある日本人よ、日本を思わばこそ、捕まらないように気をつけよ。