龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

何も言えない世界で

ということで、そういうことである。そういうこととは何も言えないということだ。言うべきか、言わざるべきか、それが問題であり、私と言う人間のレゾンデートルともつながっているが、正直に言って、何か言うことの心理的な負担が大き過ぎると言える。それは私が歳を取ったからだとか、身体の調子が良くないということも原因なのだろうが、それだけではないと思う。たとえば以前に数回あったことのように、地元の警察が用もないのに私の職場に顔を見せにやってきて、余計なことを言わないように暗黙裡にやんわりと要請するというようなことがまた繰り返されれば煩わしいという気持ちもある。それが原因で文末に私の本名である、吉川玲(ヨシカワアキラ)という名前を毎回、明記するようになってから、そういうことはなくなったので、もうないような気もするが、そのこと自体は本当は大した問題ではない。私は警察を敵だとは考えていないし、私のような者のために、私のような人間が余計なことを言ったばかりに、捜査や雑務で忙しいはずであろう警察が、政治に命じられてそういう下らない仕事をさせられている状況に対して、私は心のどこかで申し訳ないという気持ちになってしまうことが問題なのである。国民の税金で給料をもらっていて罪のない国民に圧力を掛けるとはけしからんと怒る人もいるであろうが、私はそういう気持ちにはならない。政治が腐りきっていてどうしようもないといえば確かにその通りで、それは言うまでもないことなのだが、それでもそういう問題ではないのである。確かなことは警察は警察の立場で日々、真面目に自らの職務に取り組んでいるのであり、また政治家は政治家で保身と利権のことしか考えていなくとも、それでもその人間の才覚と権限の範囲内で、それぞれの局面において将棋で言えば最善の一手を打とうと動いているであろうことも確かなのである。マスコミはマスコミで、それぞれのマスコミの立場と視点において、言い続けなければならないことと触れてはいけないことを選別して日本の言論と精神性の在り方を維持構築しているのである。それが本当の民主主義からいかに離反したものであっても、政治が悪いとか、マスコミが悪いなどと声高に批判して解決したり、前進する問題ではないと思われる。一体何が言いたいのか、うまく説明することは難しいが、どれほど堕落していて、非効率で良心を喪失しているかのように見えようとも、全ての現象や状態は、そうならざるを得ない「正当な」理由があってそうなっているのであって、各々の機関や精神がその正当性の存在意義において有機的に結びつき、全体としての一つの周波数を奏でているということ、それが国家であり日本の実相だと思われるということだ。問題はその波長や周波数にあるのではなくて、私という一個の人間がどうやらその全体的に統制され調和されたものとは融合しない周波数を有していて、それが私がこれまでの人生を生きていく上での苦悩の原因であったことを今となっては知ってしまっているということと、自分と融合しないからと言って、良くも悪くも全体的に調和を保っている一つの秩序を棄損へと導くような主張をなすことが罪深いことのように思えてしまうというところにあるのである。何事か言うことの心理的な負担が大きいとはそういうことである。また個人的な問題だけではなくて、世界全体が一つの精妙な均衡に収束していって、本当のことや正直な感想を気安く口にしてはならないような気配になりつつあるような気もする。参議院選挙を直前にして、選挙の結果などもはや何の意味もないが、私だけではなくて、自分自身と世界との関係性ということについて何かを感じてもらえれば幸いである。

(吉川 玲)