龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

落ち葉

取引先のある会社が毎月、公益財団法人モラロジー研究所が発行している“ニューモラル”という小冊子を送ってくださっている。内容は名前の通り道徳についての啓発書なのであるが、私は不勉強で申し訳ないのであるが本文については忙しいこともあってほとんど読ませてもらっていない。ただ、その小冊子の裏表紙に毎回、ニューモラルの詩(うた)として短い詩が載せられており、私は目にとまった時に仕事の合間に読んでいるのだが、今回の詩は大変に良かった。甚く感銘を受けたので、ここにご紹介させていただくことにする。タイトルは、“落ち葉”で作者はY.Mochizukiという方である。
 『見てしまった
 あなたが舞い落ちる姿を
 あなたが落ちる空間という
 宇宙の中で
 あなたがどんな華麗な姿を示したか
 私には分かってしまった
 私は決してあなたのようには
 美しく大地に落ちることができないことを
 落ちている
 宇宙全体が超速のスピードで
 突然ぱっと舞い上がったかのように』
いやあ、素晴らしい、美しい。つまらない感想は述べないが、こういう詩を読むと嬉しくなって自分もまた同じタイトルで詩を作りたくなったしまう。と言ってもY.Mochizukiさんに対抗する気も張り合う気もないが、また張り合ったところでプロ(?)には到底、敵わないだろうが、そんなことはどうでもよい。これが私の“落ち葉”だ。
 『私は知っている。
宙に舞う、落ち葉の喜びと開放感を。
落ちる瞬間までずっと
有るべき枝のその部位で
風雨に飛ばされないようしっかりと
しがみ付いていなければならなかった。
昆虫たちに食い荒らされないかと
昼夜、恐怖に身を震わせていなければならなかった。
それもこれも全ては世界のためだ。
太陽の光りを受け、光合成をなし
でんぷんを作り、酸素を供給するという
一連の生産活動に従事するために
葉っぱは健気に生きてきたのだ。
葉っぱは決して葉っぱ以上のものにはなれないが、
葉っぱで有り続けることが
試練と苦難の連続であった。
それが今、枝を離れ風に吹かれ
宙を舞いながらゆっくりと落ちてゆくのだ。
何という開放と悦楽に包まれていることであろうか。
落ち葉にとっては、その下降こそが
今や唯一の生の思想である。
拘泥や執着を離れた喜びの舞踊である死の間際の生だ。
そしてついに落ち葉は眠るかの如く
一葉、一葉と大地を優しく覆い始める。
何かを思い出すように
何かを忘れるように
ゆっくりと自らを醗酵させることによって微熱を発し
その熱と養分が地中に蠢く新しい生命の芽を育むのであろう。
そういうことを考えながら
私は一人で落ち葉を眺めている。
ああ、私という落ち葉は
何につながり、どこへ落ちてゆくのか。』