龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

金と思想と幸福

先日9月18日(日)のことであるが、私は岸和田のだんじり祭を見学に一人で行っていたのであるが人の多さと暑さに疲れ果てて、夕方4時ごろ難波駅にまで戻ってきた。時間はまだ少し早いがどこかで一杯飲んでから帰ろうかと高島屋の前辺りに出てきた時に、右翼青年が一人でマイクパフォーマンスをしている光景に出くわした。普段なら私は、気にも留めずに行き過ぎたことと思うのだが、その日は何かしら気に掛かるものがあった。その風景のどこかが少し、おかしいのである。その青年が演説している場所のすぐ近くに女性用雑貨のショップがあって、その店の店員が数人、店前に出てきて大声で「タイムセールスです。」とか何とか言いながら、右翼青年の声に被せるようにヒステリックに叫び続けている。最初は本当に客寄せの営業活動のためかと思ったが、どうもそうではないのである。右翼青年の演説の妨害をしているのだ。私はその光景が、大袈裟であるかも知れないが日本の象徴のように感じられたのであった。“日常”と“非日常”の相克の気配がその場に漂っていた。アメリカ的な資本主義の道徳と正義が日常であり、その道徳と正義に異議を唱える者が非日常であった。それで私自身がどちらに属しているかと考えれば、明らかに思想的には非日常の側であるから、右翼青年のマイクの主張よりもショップ店員たちの生の叫び声が煩く耳触りに聞こえて仕方なかったのであった。しかし後から冷静に考えればショップ店員たちはその右翼青年の“主張内容”に反発しているのではなく、店前でそのような政治パフォーマンス活動が行われていることを営業妨害と考えているであろうと思われたので、その心情は私にも理解できたのである。だからそういう部分では私もやはり日常側の住人なのだ。
そういうことを考えながらその右翼青年の主張をしばしの間、聴き続けることとなった。言っていることは極めて真っ当で正論の部分が多い。特に憲法改定、自主憲法制定の必要性については前回、私がブログ記事で述べた通りであり、その時にその場でそういう光景に出合ったことを何かしら“縁”のように感じられてしまった。それで、その青年の演説が終わってから私は話しかけた。私は言った。日本が現在置かれている問題の全てはアメリカとの関係性にこそある。しかし日本国民への洗脳は極めて根深いものがあり、変革はそう簡単なものではないということを。その青年は当然のように私の言うことを聞いていた。
日常と非日常、さてどちら側にいる方が日本人は幸福になれるのだろうか。そういうことを日本人は今こそ考えるべき時期なのだ。