龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本独立の条件

通貨とは単に指数的に捉えるだけではなく、併せて観念的に思考する能力と哲学を持たなければ、これからの国家は破滅に向かわざるを得ない運命にあると言えるのではなかろうか。と、偉そうなことを言っても私は経済に関してずぶの素人であるし、基礎的な勉強をしたわけではないので間違っているところもあるかも知れないが、核心的な部分では少なくとも的外れではないとの自信はある。通貨はそれぞれ内在している独自の性格を持って外面的には、交換価値の共通指標として存在している。人それぞれが人種は異なっても肉体上の構造が同一であるのに、性格は皆違っているのと同じである。日本国内には1400兆円もの個人金融資産があると言われている。前回述べた、ゆうちょ銀行の200兆円、かんぽ生命の100兆円、計300兆円がその中心を為している。通貨としての“円”の性格は、真面目にこつこつと働いて長年に亘って蓄財されてきた堅実性にこそある。たとえば分かりやすい例で言えば、10万円の金が手元にあるとして、しんどい思いをしながら1ヶ月の労働で得た10万円とギャンブルであっという間に手に入れた10万円では、社会的な交換価値は同じであっても、その金を有している人間にとっての観念的な内在価値は性質がまったく異なる。ギャンブルや投機で得られた金は必ずギャンブルや投機で消えてゆく運命にある。日本人の個人資産は、真面目に働いて蓄財されてきたものだからこそ永続的に残存する性質があるのだ。だからこそ世界的に円が買われるのである。極度の円高は輸出企業にとっては重大なダメージで、貿易赤字を拡大させることになるであろうがそれはまた別の問題であり、我が国の通貨である円についてその美点をよく理解しなければ、国家としての進みゆくべき道を踏み外してしまう危険性を私は述べているのだ。
一方ドルは基軸通貨としての地位にあるが、内在的な性質で見ればアメリカ帝国主義の延長線上にある経済的な手段としての傾向が極めて高い。ドルとは本質的に、堅実な労働の結果ではなく、同盟国を支配してその国の富を収奪するための暴力装置である。よってドルの価値維持は底流でアメリカの軍隊や戦争と深く結びついている。アメリカは経済上の理由においてこそ戦争を必要としている国家なのだ。また米軍が常時駐留している日本のような同盟国が米国債を買い続けて、売却せずに寝かせ続けなければドルの地位と価値は一挙に崩壊する可能性が顕在化する。そうなればそれこそ第三次世界大戦の勃発にも繋がりかねないから、本来、冷戦上の敵対国であるはずの中国ですら米国債を大量に買っているのだと思われる。但し中国は輸出品をアメリカに買って貰わなければならない必要性もあるから政治的取引の側面も大きいであろう。EUは今、破綻寸前のギリシャが離脱する可能性があるとか言われているが、そもそものEU発端はドルの暴力に対抗するための経済連合であり、そのための統一通貨としてのユーロなのだと私は考えている。ヨーロッパは歴史的に侵略による領土の分割や割譲を幾度も繰り返してきたので、軍事力を後ろ盾にした経済的な侵略行為の危険性にも国民の意識は鋭敏に発達しているのであろう。ところが日本だけである。国家の財産が収奪される危険性に対して、これほど無防備で無警戒な国は。だから平気で日本郵政株を簿価で売却するなどと言い出すことになる。もちろん経済の国際化は避けられない部分がある。鎖国に戻るわけにはいかないことは当然であるが、国際化と保護主義の両立というか、バランス感覚が決定的に日本の政治家には欠落しているように私には感じられてならない。これを突き詰めると、結局、憲法9条の問題にゆきつくのだと思う。日本の独立などと国民が何千回、何万回と何百年叫び続けようと無駄である。国家の独立にはプラクティカルな条件があって、それは他国に依存しない軍備の存在だと私は考える。自分の国は自分で守るという精神の元でしか、国家の独立は存立し得ないのだ。軍事的にはアメリカに守ってもらいながら、政治及び経済の分野ではアメリカの干渉や影響を排除しなければならないという主張は、調子が良過ぎるという以前に幼稚である。なぜなら軍事、政治、経済は密接不可分な関係にあり、どれかを取り入れてどれかを排除するなどということは現実的には不可能だと考えられるからだ。よって現在の日本のように、見掛けだけが独立国家で内実はアメリカの属国状態となれば、その見掛けを隠すために我々の日常は延々たる馬鹿馬鹿しい茶番劇に付き合わなければならないこととなる。マスコミとは茶番を映す幻影機に他ならない。私は日本のエネルギー政策としての原発には反対であるが、核兵器は装備すべきだと考える。日本は世界で唯一の被爆国として、世界で唯一抑止力としての核兵器を装備する正当性のある国であると言えるのではないのか。核を装備しながら世界に向けて核の廃絶を訴えることは矛盾でも何でもない。矛盾だというなら正当性のある矛盾だ。戦後そろそろ70年近くにもなるのだから、日本人はそろそろタブーを廃して目を覚まさなければならない時期だ。と言っても現状ではこのような意見は到底受け入れられないであろうことも私にはわかっている。日本人への洗脳はあまりに深すぎるからだ。オウムどころではない。だからこれだけは日本の政治家に言っておきたい。日本という国は独立国家ではないのだから、正真正銘の独立国家のように振舞うな。そういう欺瞞が日本の元凶であることがわからないか。