龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

私という道

あなたは知っている。
あなただけではない。
道行く私の知らない人々が知っている。
人間だけではない。
街路樹のプラタナスや石鉢に植えられたカポックの木が
知っている。
植物だけではない。
鳴き声のうるさい近所のコーギー犬や痩せ細って目付きの悪い野良猫や
明け方早く、我が家の外壁をくちばしで突付きにくる椋鳥も知っている。
生き物だけではない。
電柱や放置自転車や看板
民家やマンションなどのあらゆる建造物の無機物までもが知っている。
雨や風、月や太陽も
ああ、それから星は何でも知っている。
でも私は知らない。
あなたたちは私が、私だけが知らないで
私以外のあなたたちが知っていることを
知らないと思っているようだが、そんなことはない。
私は、私だけが知らないという事実を
知っている。
知ってはいるけど、あなたたちを
つまり世界の秩序を壊してはならないと思って
知らないふりをしているだけだ。
でも私が知っているのは、
私だけが知らないという事実であり
私以外のあなたたちが知っている私の核心を
私が知らないことに変わりない。
宇宙の森羅万象は時空を越えてつながっている。
もちろん私という人間もその全体の中の
ちっぽけな欠けらの一部分(ピース)である。
全体性につながってはいるが埋没はしておらず
私だけが知らないという
現象世界における、ただその一点の特異性において
私という存在の影が屹然と聳え立っている。
私とは私だけが知らないという抽象概念を具象化した
主体的な形態の意識である。
知るとは、混ざり合い溶けゆくことで
知らないとは、凝固し沈殿することだ。
すなわち私とは宇宙の不純物に他ならない。
だから私が“それ”を完全に知ってしまった時には
私の存在律が内面から矛盾を来たし
私はもうこの世に生きてはおれなくなるであろう。
“それ”とは私が何物であるかだ。
私以外の全ての他者は知っている。そして正しく私に反応する。
私だけが私を知らないで、私を持て余し懊悩する。
生きとし生ける万物は
存在の深奥で私自身への無理解から
悲しみと不安に打ち震えている。
だが私だけでなく、
私以外の誰も彼もが
私を知り得ないという絶対的な事実ゆえに
地上での存在を許され、謙虚な気持ちで
清らかにこの世界に向かい合えることを
やがて思い知ることであろう。
私とは一つの道である。