龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

殺人の評価

新聞の殺人事件記事を読んでいて気になることがある。と言っても気になるのは私だけで、ほとんどの人は気にしないのであろうが、これでいいのかとやはり気になる。家庭内殺人で妻が夫を殺害する事件についてだ。と一口に言っても様々なケースがあるはずであるのに、必ずと言ってよいほど加害者の妻は夫に暴力を受けていたと主張する。本当に受けていたのかも知れないが殺人を正当化し得るほどのものであったかどうかはまったく別問題であるはずだ。なぜなら家庭内の殺人だけでなく、そこに正当防衛が認定されれば違法性は問われないこととなるのだから妻の殺人だけ特別扱いする必要性があるのかということだ。また、正当防衛は急迫の侵害に対する防衛であって、仮に夫のDVが本当にあったとしても計画的なあるいは衝動的な妻の殺人を擁護してよいものかとなると、社会正義的に考えても問題は大きいように思われる。しかし妻側がDVの事実を訴えることは法廷戦略的には当然の常套手段である。仮にも殺人を犯しているのであるから最悪の場合は死刑はともかくも無期懲役刑となり、正当防衛に順ずる止むを得ない行為かあるいはDV被害による心身喪失などが認められれば、不起訴になったりあるいは起訴されても執行猶予となる可能性が高くなるからだ。そこには天と地ほどの差があるのである。よって加害者の妻側は、ほぼ100%の確立でDVを受けていたから仕方なかったと主張することが予想される。法律や法廷と言う世界はそういうものなのだ。
私が気になるのは、新聞報道が一方的に加害者である妻の主張を受け入れた形で為されるということである。本来、殺人事件だけでなく加害者の主張に沿って記事内容が構成されることなど絶対に有り得ないことである。麻薬犯罪でも窃盗や痴漢などの微罪でも同様である。ところが妻の夫に対する殺人だけが例外となってしまっている。殺された夫にも保護されるべき名誉があるべきではないのか。“死人に口なし”とばかりに、殺されて当然だとの印象を大衆に植え付けかねない報道を垂れ流すことは、私は報道倫理的に間違っていると思う。死人である夫は何一つ抗弁できないが、夫の親族たちは生涯、地獄の苦しみを味わい続けなければならないからだ。