龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きることの畏れ

見も知らぬ誰か他人が
すぐ近くで不慮の事故に遭って非業の死を遂げる。
そういう報道記事を目にする。
ただそれだけのことなんだけれど
本当にそれだけのことなのだが
その人は私の不幸の身代わりになって
亡くなったのではないかと申し訳ない気持ちになる。
そして有ろうことか
私の魂は
枷を外されたように軽くなって
これまで重く閉ざされてきた現実の扉が
そっと開かれていることを知るのだ。
ああ、これが錯覚であれば、思い違いであれば
どれほどよかろうか。
でも、もしかすれば私もまたこれまで
死にこそはしなかったまでも
見も知らぬ他人が一人で抱えきれない苦しみや悲しみを
引き受け、背負いこみながら
生かされ続けてきたような気がしないでもない。
一旦そういう認識に至ると
目の前の現実が、現実を超えて
途轍もなく畏れ多い啓示の情報に見え
震撼のあまり言葉を失ってしまうのである。
そして魂という海の底から
沈んだ遺体を引き上げるように
この思いを詩の言葉に置き換えることは
罪深いことなのであろうか。
私にはわからない。