龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

システムと良心

前回、述べた内容について、ふと思い付いたことがあるので、補足的に訂正させていただくことにする。私は、痴漢や痴漢冤罪をなくするためにID識別システムを採用すべきだと言った。そしてその案が採用されない理由として、券売機や券売システムをそっくり入れ替えるためには莫大な費用が掛かるからだとした。しかしである。よく考えれば銀行から自動引き落としとなるIDカードが使えるようになれば、券売機そのものが不要になるではないか。改札機がオンラインコンピュータの端末となって、乗車駅と降車駅さえ記録されれば、問題ないはずだ。数百億円ものコストが掛かる大掛かりな改修工事にはならないであろう。今の技術レベルでは簡単に出来るのではないのか。券売機の維持、管理コストは不要となり、駅構内の人の流れはスムーズになる。請求書の発行業務は電話料金のように外部委託すればよい。駅構内から券売機が撤去されることになれば、その有効スペースをテナントとして貸すことも可能となるわけで、中・長期的に見れば鉄道会社にとっても経済的メリットは大きいはずである。こういう風に考えていくと、よくわかると思うが、日本の公共輸送の代名詞である鉄道会社の設備は改善の余地が大いにあるものであり、私などに指摘されるまでもなく、改善に向かわなければならないはずである。
痴漢について言えば、その迷惑行為の衝動はやはり電車内での匿名性に起因している部分が大きいと言えるのではないであろうか。ID識別システムが採用されれば、前回述べたように乗車拒否される恐れが付きまとうから、かなりの抑止効果が得られると思う。また実際に、悪質な客は乗車拒否すれば良いのである。こんな簡単なことで電車内での痴漢や暴力などの迷惑行為や、それ以上に悲惨な冤罪を防ぐことができるのである。パンツの繊維鑑定までして、触っただの触っていないだの、裁判で争い続けるような滑稽な風景は、先進国として恥ずかしい限りである。
もう一つ、日本の統治システムが微罪に依存している、つまり日本の支配構造が痴漢を必要としているから痴漢はなくならないと私は前回、書いた。この点については言うまでもないが、物事を近視眼的に、自分個人に引き寄せて見る人々には絶対に理解できない考え方である。一人一人の鉄道員も警察官も、裁判官も、誰も個人的には痴漢などの微罪に依存していない。全ての人は自らの良心と信念に従って、誠実に生きている。でも、国全体の統治や支配という視点で見ると違った風景が見えてくるはずである。いまや日本は我々、一般の市民がその大いなる俯瞰風景に責任を持つ意識を持たなければ、絶対に変わり得ないのだということを主張したいのだ。
ともかくも私は、思ったことをそのままに書くだけだ。深深と降り積もる雪の正直さで。新雪のごとき純白の表現がないことが日本の不幸なのだ。
何か文句があるか、と天を仰ぐ。