龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

キャバ嬢になりたい。

「キャバ嬢に5億円貢ぐ」、今朝の読売新聞朝刊に載っていた記事だ。巷にはよくある話だが、経理を任されていた男が会社の金を着服して、女やギャンブルにつぎ込む。この手の話は昔から本当に多い。人間の感覚とは不思議なもので、人様の金を扱っていても、職権で自由になるなら自分の金だと勘違いしてしまうのである。その心理メカニズムを分析すれば、自分のものかそうでないかを、その金を自分の裁量で意のままに自由に出来るか、出来ないかによって誤って認識してしまうところにあると思われる。通常の日常生活の中では、自分のものでない人様のものは、当然のことであるが、自分勝手にはできない。しかし職務上、人様の金を扱うことが習慣化すると、公私の区別が意識の中で曖昧になってこのような犯罪行為に及ぶことになるのであろう。しかしこの心理傾向は、経理の業務上横領だけでは留まるものではないはずだ。マスコミが扱う情報も、何を報道し、何を報道しないか、そして報道する事件をどのように報道するかはマスコミ企業の裁量によるものである。そしてマスコミが自分たちに都合のよい情報を、我々国民全体に共通する公共の利益だと偽装して発信する姿勢が慢性化すれば、本当にそれが真理だと勘違いすることになるのであろう。昨今の消費税増税におけるマスコミの報道姿勢は、官房機密費から金がマスコミや言論人にばら撒かれているかどうかはともかくとして(私はその可能性が大だと思うが)、あるいは現在の法律において不法行為に当るかどうかを別にすれば、心理メカニズム的には経理マンの不正着服と何ら変わるところがないのではないのか。人間はそして組織も、惰性によって動くものである。そしてその惰性に権力が伴えば、その惰性運動のベクトルに沿って正義の観念が大衆の前に作られ、示されることになる。我々国民にとっての不幸はその惰性運動や正義の建前が真にその“時代”にとって適切なものであるかどうかを直感的、かつ皮膚感覚的に知り得ても、マスコミ権力のご都合主義的な誘導に立ち向かう力を持ち得ないことである。常識やモラル、そして正義の在り処を全てマスコミが統制しようとしている。そして、その統制のあり方が政府の手先であることも、または“反権力を装う偽装的立場”であるということもあるだけのことだ。現在の報道体制に洗脳されている大多数の人々には、何をどう言っても通じないと思われるが、そういうことなのだ。キャバ嬢に5億円貢ぐのも、外国債を数兆円買う(買わされる)のも同じである。人類、皆兄弟かどうかは知らないが、人間の行動原理は共通している。何が善で、何が悪であるのかを決めるのが権力である。そしてその善悪のあり方を正しいとして洗脳する機関がマスコミなのである。気をつけなければならないのはマスコミは時に反権力を装うことによって、自らの存在の正当性を国民の前に誑かすことがあるということである。マスコミのマは悪魔の魔だ。ああ、私も来世は立派なキャバ嬢になりたい。そして低脳な男から5億円むしり取ってやるのだ。5億円欲しい。キャバ嬢になりたい。本当は5億円欲しくもないし、キャバ嬢にもなりたくないが、こういうことを主張することがマスコミ的には“正しい人生”である。私は既に立派なフェミニストである。何か文句あるか。