龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

歪んだ民主主義の正体

人権侵害であるとか、「知る権利」が守られないとか、口封じなどと、あらゆる言葉で朝日や毎日の言論は、特定秘密保護法案を批判するが、この法律の本分は、国の安全保障のためにこそあるのである。国の安全、つまり国民の生命や領土を守るために、人権や「知る権利」が制限されることは止むを得ないと考えるべきであり、運用のあり方や秘密指定の恣意性など種々の問題が指摘されようとも、何らかの形でこの法律は絶対に必要であると看做されるべきだ。ところが朝日や毎日の批判は、この法律の重要性、今日的な必要性とのバランスを著しく欠くものであり、とにかく法案の欠点を粗探ししてでも国民全般に危険法案であるとして印象づけることによって廃案に持ち込もうとするものであり、報道であるというよりも明らかに報道を通じた政治活動である。恣意性を云々するのであれば、まず自らの報道の恣意性を改めるべきではなかろうか。報道もまた権力の一つなのである。特定秘密保護法が成立すると、何が変わるかと言えば、政治に対するマスコミ権力が弱められることである。そしてそれが、今回の市民を大きく巻き込んだ反対活動の本質である。市民運動というものは訳がわからないものであることが非常に多い。人それぞれに考えはあるのだろうが、私にはどう考えても、マスコミに踊らされているだけのようにしか見えないのである。そもそも朝日や毎日などの論調は市民の意見を代表している形式を採用しているが、実際にはそうでないことの方が多い。正確には、社の利益のために市民感覚を利用しているものであると言い得る。市民感覚を最大限に利用、活用することによって一部のマスコミが、国家の内部の反国家組織として、政治権力と同等と言い得るほどの影響力と地位を保持して来たものである。今やマスコミはまるで中世の貴族のような特権階級である。国全体が衰退し、いわゆる中流以下のほとんどの国民が貧困化している中で、マスコミだけが日本とはどこか別の浮島に住んでいる人種であるかのような栄華を誇っている。彼らにとって何よりも大切なことは、国の安全や国民全体の幸福よりも、国家権力に対峙する反国家勢力としてのパワーが構造的に維持されることでしかないのである。そのようなマスコミの権勢というものは、マスコミ以外の一般国民の利益に何ら貢献する結果とはなり得ていない。貢献どころか消費税増税時の論調を見てもわかるように、一般国民の乏しい利益を吸い上げてまでマスコミの権勢を増強させていると見ることも出来るであろう。この特定秘密保護法案への反対運動も、消費税増税への世論操作とマスコミ権力維持の視点から見れば、まったく同列である。それがどうして多くの市民がわからないのだろうか。一部のマスコミは一般市民の利益を代表してくれている有難い存在だから、国家権力に対して共闘しなければならないなどとそう簡単に騙されてしまうのであろうか。私にはまったく理解できない。理解はできないが、そこにある誤った幻想こそが戦後日本の最も深い闇であり、民主主義の歪みの正体であることははっきりと理解できるものである。