龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

令和のスタートに際して

天皇陛下崩御して自粛ムードの中で新しい天皇が即位し元号が変わるのと、今回のように生存中の天皇が譲位して上皇となり改元するのでは、世の中全体のムードが異なることは当然のことであるが、それを昭和から平成への転換期と比べて社会が明るくなったかのように考えたり、上皇天皇の努力の賜物であると褒め称えることは、祝賀ムードの中の言葉であるにしても私には空々しいような感想しか持ち得ない。当たり前のことではあるが、元号が平成から令和に変わったところで世の中の現実は何一つとして変わっていないし、また変わり得ないものである。私は何も天皇制そのものを否定したり、批判するつもりはない。しかしたかだか元号の名称が変わって、これまでの皇太子が天皇に即位する転換を歴史の一つの区切り目として国全体で祝うのであれば、それと同時にこれまでの平成という30年間余りを冷静に総括して検証する目と意識も必要なのではないのか。確かに昭和の時代と違って、平成の30年間は戦争はなかった。それゆえに平和を継続できた期間であったということは言えるのかも知れない。しかし地震や大雨、土砂崩れ、台風などの自然災害の被害で亡くなった人々の数は非常に多いものであった。単純に比較できるものではないが、戦死者数に匹敵するほどの人々が平成の時代に亡くなったり、或いは死亡しなくとも、住む家や家族の命を失うという多大なる不幸に遭遇してきたものであった。自然災害だけでなく、経済も昭和の高度成長の勢いを失ってGDPも中国に追い抜かれ、国民が生活の中で感じる豊かさもごく一部の階層の人々以外を除けば、ほとんど消滅してしまったと言っても過言でないのではなかろうか。それ以外にも、日本という国家の国際的な存在感や影響力も平成の30年間に漸減的に低下してきたことは否定できない事実である。そのような趨勢と軌を一にするように国内政治の動向は、国民の不平や不満を抑圧するような情報統制や強権体制が法律に反映されることが目立つようになり、人心は乱れ、庶民の生活が荒廃し、幼児虐待や猟奇的な犯罪が増加してきたのも平成30年間の特徴であったと言えるのではなかろうか。これらを総称して、平成の「失われた30年」と呼ぶ人もいる。戦争がなくて外観的に平和であったとしても、平成は国民全体の幸福とは程遠い世相であったのである。もちろん天皇に責任があるとは言えないものである。それは時代や憲法が異なれども、戦争責任を天皇に問えなかったことと広義においては同義だと考えられる。
しかし天皇の本分が、国家の安全や国民の幸福のために儀式的にではあれ、祈願するところにあるのであれば、平成の全体的な堕落であるとか退潮は我々国民はどのように評価すべきなのであろうか。そういう問題意識を一欠けらも持ち合わせずに、令和という時代のスタートに何も考えず、何も感じずに浮かれ気分に陥っている人々には、正直に言って私は虚しさしか感じられないが、そういう世相がまた自民党政治の大いなる成果であるとも考えられる。