龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本政治の悪徳性について

各人に自覚があるかどうかはともかく、政治も報道も含めて、日本の議論とは全て議論のための議論であって、前向きに物事や懸案事項を解決に向かわしめたり建設的に前進させる性質のものではない。だからいつも議論が本質から横に逸れたところで回転木馬のようにぐるぐると同じ地点を回り続けている。丁寧な議論などとは言いながら、要するに日本の政治が行っていることは、細かな点を挙げれば時代と共に変遷していることも当然あるであろうが、根本的な部分においては現状維持が目的だと考えられる。変えないための政治である。そして現状維持のために情報と国民意識の統制がなされている。議論のための議論とは、政治(家)のための政治であり、決して日本の政治を真の国民主権に明け渡さないために組み立てられた巧妙な装置である。そして日本の現状維持を成り立たせる二大要因が「戦後秩序」と「天皇制」である。戦後秩序は外圧的に作用する論理であり、天皇制は内発的に作動する力学とでも言うか日本の全体的な空気を包含するための精神的なメカニズムであると言える。この二つの要因が日本の特殊性を構成していると考えられる。日本の政治はこの二つの要因の間を右往左往するようにバランスをとりながら一定圏内をはみ出さないように、政治力学の遠心力でからからと回り続けている。この構図なり仕組みが見えていなければ、おそらく日本の大衆は日本の政治が一体何を考えて、どのように動いているのかということが全く理解できないのではなかろうか。何かよくわからないけれど仲間内で揉めてるなあ、とか新聞やTVで大きく取り上げられているから重大なことが議論されているのだな、といった程度の理解しかそこには存在しないはずである。
まだ戦後秩序とか外圧ということは一般的にもわかりやすいファクターである。日本は形式的には独立国家であるが、戦後、真の自主性を獲得するには至っていない。その矛盾が歪みとなって基地問題や領土問題に解決どころか、政治的に正しく向き合えていない現状については一般大衆にも余程の能天気な馬鹿でない限りは、多少は認識されていることであろう。ところが政治や世論の質と天皇制の関連性については、大衆はもとより知識人に分類されるような人種も意外ときちんと理解されていないような気がする。まあわかっていても、分からないふりをしているケースも多いのであろうが。前回にも述べたことだが日本の政治は、自民党だけでなく政界全体が天皇制を利用していると考えられる。それも善用としてではなく悪用だ。むしろ自民党よりも野党の方がどういう訳か、天皇制を政治利用しようとする体質が強いように見受けられる。どういうことかと言えば、天皇制の政治利用と一口に言っても様々なケースがあるであろうが、大雑把に言えば政治にとって都合の悪いこと、国民生活や国益においてきわめて重要なことでも国民に広く知らしめたくないことを隠蔽しやすいということが挙げられる。厳密に政治利用と言えるかどうかは字義の問題になるであろうが、天皇制という全体的な精神性の下では国民は、その全体的なまとまりのある調和なり宥和性を何よりも大切にしようと考えるので、政治の嘘や矛盾、悪徳を自らの精神や思考を立脚点として暴き立てようなどとはしないものである。だから非常に従順で、統制されやすい性質があると考えられる。しかしそれだけではさすがに民主政治の外観と建前を維持し続けることはできないので、日本の政治や政治と連携している報道は、国民主権の観点からではなく、「自作自演」で政治内部の不祥事や悪徳をスケープゴートのように祭り上げることによって、日本の政治の体質が変質しないように、言い換えれば真の民主主義にならないように強固な防波堤を築いているものである。だからその防波堤の内部においては、我々一般国民が想像もつかないような堕落や腐敗が隠されているのである。私はそういう日本の政治の大衆操作は、明らかに天皇制の政治悪用だと考えるものである。日本の大衆は政治家やマスコミが自ら開示する情報の中にしか政治の悪は存在しないと信じ込まされてしまっている。或いはあるとは思っていてもそれを指摘することは全体的な空気を乱すことだから、それ自体が悪だという風に考える思考パターンが埋め込まれている。政治やマスコミが提示する恒例のイベント的な言葉狩りや政治とカネの問題につきあっていれば、世の中が少しずつでも改善していくと錯覚している。日本の戦後の政治とはそういうことを延々と何百回、何千回と繰り返してきたのだ。そこには何の生産性もないどころか反対にそのような不毛な政治コストの蓄積がじわじわと国民生活を蝕んできている。それでも健気に日本の国民が日本の政治全体の虚構性やインチキを許容してどこまでもついていこうとする態度を示し続ける理由は、極論すれば天皇制が日本にはあって、その全体的な調和を国民全体が必死で守ろうとするからであろう。その日本的な美徳を日本の政治は利用しているのである。貪るように利用し尽くしているのだ。何か反論があるか。