龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本のマスコミは時代遅れだ

TBSや毎日新聞朝日新聞などの言論機関を「左派言論」と呼ぶ人が多いが、私はその言い方が好きではないし、個人的な好き嫌いの問題ではなく、適切ではないとも考えている。なぜかと言えば、左派とか左などと言えば、無前提に存在の正当性や大義を容認していることと同義なのではないのか。確かに我々の生きているこの時空間は、右があれば、相対的に左が存在することは必然である。右だけで左がなければ、右往左往もできない。だから生きている限り左を否定することは許されないと。極論すればであるが左派言論と言うものがこのような単純な論理で永続的な存在を許容される社会体制を国家が保護し続けるのであれば、左派というものの存在意義は物事の道理や真理を突き止めることにではなくて、単に右を批判し、その既存の価値観や安定を揺るがせることによって自らの権益を確固としたものにする方向性で、天邪鬼であると同時に原理主義的な性質なものとならざるを得ないのではないのか。またそのためには、どのような事実の捏造や歪曲、誘導も左派存続のために正当化されることになる。TBSや毎日新聞などが報道ではなくて政治運動を邁進していると見られる基本的な精神構造はそのようなものだと考えられる。このような発言をすると左派容認の立場の人は決まったように、それは典型的な保守思想の左翼批判だと言うが、果たしてそうなのであろうか。私自身は右翼であるとか保守派であるなどの自覚は皆無に近い。自民党には嫌悪感しか感じられないし、日本が素晴らしい国だと考えている訳でもない。そういう次元の問題ではないのである。そういう次元のレベルで国内統治がなされてきた時代も日本には長く続いてきたのであろうが、今はそうではなくなりつつあるということだ。わかりやすく言えば、左の左性や右の右性が、自明で無前提のものではなくなりつつあるということである。だからそのような従来の前提と存在根拠に固執しているTVや新聞を今の若者たちは見なくなってきている。若者は単に消極的に従来の日本の精神構造を受け入れ、消化することを拒否しているだけではなくて、無意識の内に新しい時代への前適応を進めているのだと考えられる。もっとわかりやすく言えば、日本の言論機関は本当の競争原理が働いていないということが最大の問題なのである。だから時代の変化に適応できないし、国民意識と乖離していく一方であり、その距離感を埋めるためにまたTBSや毎日新聞に代表されるような言論は、捏造や誘導の政治運動をより一層、強化せざるを得ないという悪循環に陥っているものである。日本の言論空間と精神構造の在り方を今一度、再考すべき時を日本は迎えている。