龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

言葉狩りしかない日本の言論

まあ、あれやね。あれと言うのは、今の時代は女性蔑視とか女性差別の発言は厳しく非難、弾劾されるということで、それはそれで歴史の長い時間のスパンで見れば、一つの反動であり、調整なのだから仕方のない面もあるのであろうが、現在の日本における風潮のように、あまりにそればかりに特化し過ぎて、それ以外の全体的な社会背景なり、個別の生活事情なり、また根本的な対立、相克の要因といったものが埋没してしまっているのでは、結局はそういう弾劾は差別撤廃や人権擁護のための運動というよりは、それ自体が社会に不都合な真実を覆い隠したり、国民の意識をそちらに誘導させて、一部の特権階級の利権を維持するための社会操作にしかなっていないということなのであろう。などと小難しい理屈をいくら述べた所で、ほとんどの大衆は理解できないであろうし、話しについてこれないであろうことはわかった上で言っているのだが、というよりも理解できる能力がある人間だけが、自分なりに私の言っていることを消化してくれて考えてもらえばよいという気持ちも強いが、敢えて誰にもわかりやすい言葉で説明すれば、政治家や有名人などの失言や暴言に対する言葉狩りというものは、万人に対して親近感が感じられ易いものであるゆえに、国民を一つの言論と言う渦の中に落とし込む上で、つまりはその渦の外側に存在する矛盾や嘘や不都合を見させないように、意識の焦点が合わないようにぼやけさせるためには、非常に有効であるということなのである。それで結局、日本の政治や民主主義や言論の自由というものがやっていることは、国会の論戦においてもTVにしても、ネット空間の書き込みにおいても、つまるところは表面的な言葉狩りでしかないのである。そこには本当の人間的な思考であるとか、精神といったものが枯渇している。極論すれば、今や日本人は、言葉狩りで誰かを厳しく攻撃するためだけに生きているといっても過言ではないほどである。しかし一方で、確かに部分(失言)は全体(人格)を映し出しているのである。全体の中に部分があるように、部分の一つ一つにも宇宙のような全体性が蔵されているのだ。そういうのをなんて言うんだったっけ。忘れたけど。だから部分という失言で全体の人間性や能力を推し量り、否定する行為は一つの方法論とすれば決して間違ってはいないであろうが、そればかりに集中して他が見えなくなってしまうという状態が非常に危険であるだけでなく、結果的に生産性のない不毛な政治行為に過ぎないということを日本の全ての国民はよく肝に銘ずる必要性があると思われる。

ということを弁えてもらった上で、一つの具体例として芸人の岡村君のラジオでの発言を考えたいと思う。風俗嬢に関する発言は、岡村君が自ら反省して、謝罪していたように確かに女性蔑視であるとか、男尊女卑的などと批判されても仕方のないものなのかも知れないが、果たして本質的にそういう問題、いやそれだけの問題なのであろうか。近視眼的に部分を見ることから離れて、全体を俯瞰しなければならない。岡村君は、私は知らないが、以前からそのような風俗ネタを話していたようであるが、どうして今回に限り、問題が大きくなったのか。当然、コロナ禍による生活苦というものが風俗嬢への転身理由になっているということと、それを期待するような不用意な発言が地雷を踏んでしまって木端微塵になってしまったということであろうが、そもそも今だけでなくいつの時代にあっても風俗という業界は、元々そういうものなのではないのか。浪費や派手な生活で借金などしていなくとも、真面目に生活していても、たとえば親が破産して学費が払えなくなり風俗業界に流れ込んでくる若い女の子がたくさんいるという話しは以前からあったことであり、事実そうなのであろうと思われる。もちろん今はその貧困の規模がこれまでとは比較にならないほど「普通」の人々の隅々にまで拡大してきているので、岡村君の呑気な発言が世間の激しい怒りを惹起させたことは当然であり、本人の責任なのであろうが、これは一歩離れて考えれば女性蔑視や男尊女卑の問題ではないはずである。今日も取引先の人と話しをして耳にしたことであるが、もうすでに日本は生活苦からかなり治安が悪くなってきているらしい。データや統計に基づくものではないので正確なところはわからないが、巷では泥棒や強盗が増えているということのようだ。むべなるべしである。そうならざるを得ないであろう。何も私は風俗嬢を泥棒や強盗と一緒だと言っているのではない。そういう言葉狩り的な決めつけが世の中をおかしくしているとも言える。私が言いたいことは意図的かどうかはともかくとして日本の言論は物事を人権擁護や差別撤廃などの類型化された、大衆が関心を持ちやすい話題に誘導することによってその背後に空のように茫漠と広がっているより深刻で重大な問題を認識させないように、自律的に取捨選別され動いていくということだ。岡村君の問題発言騒動はそれ自体がスケープゴートになって、その背後の治安悪化の兆候を隠す役割を果たしているように私には見える。もちろんそうは言っても、それゆえにすぐに経済活動を本格的に再開させよなどと言うつもりはまったくない。今回のコロナウイルスに対する中途半端な対処は、事態を悪化させるだけである。しかし一方で日本の全般的な貧困は、日本人の性質上、暴動は起きないであろうが、これが日本とは考えられないような治安の悪化を生み出していくことであろう。また当然、自殺者数も最近は減って来ていたようであるが、また確実に増加に転じることであろう。そういう全体性をどのように国民が考え判断して、政治に働きかけていくかということが急務なのではないのか。しかし腐った政治構造は与党であれ、野党であれそのような全体意識を国民に持って欲しくはないのである。国民が賢くなれば、政治家の存在価値がなくなってしまうからだ。もうすでに国会議員の価値など何もないが。だから全ては差別や人権などの部分的な話題、批判に、それらの言葉狩りに巧妙に摩り替えられてゆくのである。最後に岡村君に男として老婆心で忠告すれば、49歳にもなって風俗に行くな。法律に年齢制限はないが、遅くとも10年前には卒業しておかないとダメだよ。どうしても行きたいということであれば、もっと高級なところに行けよ。芸能人や政治家ご用達のVIP専門店で、1回遊びに行けば20万円とか30万円かかるようなところだよ。秘密結社みたいな。それぐらいの金は持っているだろうに。大衆が行くような普通の所に行くから、そういう発想になって悲惨なことになるんだよ。超高級店で気前よく、男前に金を使っているのであれば、TVはともかくラジオでそういう話しをしても誰も批判しないし、また批判できないよ。庶民は行きたくてもそういうところには行けないからね。妬みになるようなことは言えないのだ。また女性も意外とそういうことであれば好感をもたれるかどうかは別として、嫌悪感は持たないものだと思うよ。何のための金なのかということだ。おそらくは岡村君は大人としての金の使い方がわかっていない。そういうところが岡村君の人気の秘訣であり、またダメなところなんだろうな。