龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

この奇妙な世界で

やってるな。やっているだろう。やりたい放題だな。

皆さんは、おかしいとは思わないだろうか。日本国内のコロナ新規感染者数が、どういう訳か自民党総裁選以降、急激に減少してきて、その流れで間もなく衆議院選挙を迎えようとしている。日本の政治やマスコミは、いわゆる陰謀論というものを権威主義的に馬鹿にすることによって大衆を近づけないようにし、絶えずごみのように排除しようと画策するものであるが、私から見れば、日本は世界の潮流やディープステートの計画に巻き込まれて、その実態を否定せざるを得ない立場に追い込まれているのではなくて、日本自体がもうすでに主体的に、立派な陰謀国家である。前回同様に一応はフィクションとして述べるが、そんなことはどうでもよい。なぜならこの世の現実の全てはフィクション(虚構)である。偶然や自然発生などということはあり得ない。全ては計画され、予定され、意図的に作られている。そういうフィクションをノンフィクションとして全体的に見做す共通意識によって政治的に統制されているのだ。だからわざわざフィクションと断ることは無意味である。私はノンフィクションのフィクション性を述べているだけで、世界をそのような姿に有らしめているものは政府や権力だけではなくて、実はそれに同意する人類の意識でもあるということだ。だから結局はフィクションかノンフィクションかということではなくて、その筋書きが支配する舞台に参加するかどうかという個人的な選択における気持ちの問題である。私は見えているからそこに参加しようという気持ちにはならない。或いは人生とは参加することに意味があるのかも知れないが、それでも私は拒否する。しかしよく考えれば、私だけが見えているのではなくて、本当は全ての人間に見えているのかも知れない。人間とは自らが同意した筋書きの中で無残に死んでいく生き物なのであろう。よって私のように社会全体の無条件に同意すべき筋書きを拒否する人間は、ある意味では定義上、人間ではないのである。人間とは一体、何なのだろうか。人間とは何なのかがわからなければ、人間でないことの悲しみや苦しみも理解できないであろう。私は人間ではない。私の中の非人間性が、私を孤独の淵に、社会の辺境へと追いやる。ハロウインなどと言っても今更、何かに化ける必要もない。なぜなら私は人間に化けて、この星に生まれてきているからだ。悲しい。人間でない者が、人間に混じって、人間として生きることは悲しみでしかない。私のような者には悪魔が見える。しかしそうは言っても、私のように人間でない人間がさほど特別な人間でないこともわかっている。人間でない人間は実はたくさん存在する。よって本当は私は孤独ではない。世界中に多くの仲間がいるのだから。日本国内にも表には出てこないだけで、私のような種類の人間が多く存在するであろう。日本はそういう国なのだ。アメリカにもヨーロッパにも無数の仲間が存在する。自分で言うのも何だが、本当はそういう世界の悪魔性を見抜く人間でない人間こそが、真に人間的なのである。だからそういう種類の人間が団結して心を一つに合わせれば、全ての人間がより一層に人間的になって地球はもっと住みやすい生存環境に変化していくのかも知れない。世界の筋書きを書き換えられる可能性があるということだ。それは死ぬ可能性のあるワクチンを何の罪もない、判断能力の薄い子供や若者たちに打たせる必要性はないということだ。ところでアメリカは分かり難い国である。陰謀国家であることは確かであるが、正義や善と全く無縁ということもないようである。トランプ元大統領は在任中にコロナのワクチン製造を指示したことは事実だが、それは大統領としての立場上、当然のことであって一方でそのワクチンの真の目的を知っていたかどうかは定かではないが、子供や若者にはワクチンを打たせるべきではないとはっきりと主張し、全ての人々に強制すべきではないとも言っている。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm38973969

つまりはトランプ氏は、恐らくは善人なのである。アメリカはそういう善人を一旦は大統領に選ぶだけの自由のキャパシティを持っている国だということである。ところが前回の大統領選挙で敗北したが、トランプ氏が主張していた通り、不正選挙の可能性が高いと思われる。ノンフィクションとすればあまりにもタイミングやストーリーが、出来過ぎている。不自然だ。基本的にアメリカは建前上は、選挙の自由や正義を最大限に重要視する国なので、不正は考え難いのであるが、今回だけは特別だったのであろう。トランプ氏は計画に邪魔だったので、不正で失脚させられたとものだと考えられる。そしてバイデン氏が選任されたが、バイデン大統領のワクチン政策は強固に強制的である。基本的に接種しない自由を認めていないので、拒否する者は職場から解雇され、生活できない状態に追いやられる。ワクチンを批判する情報も厳しく監視され、全体主義的に警告や削除が行われている。その一方でバイデン大統領本人やグーグルの幹部は、なんとワクチンを接種せずに、WHOが有効性を認めていないはずのイベルメクチンで予防しているという情報があるが、恐らくは事実なのであろう。

http://takahata521.livedoor.blog/archives/10627961.html

日本は、もはやきわめて分かりやすい国である。国家として保持すべき正義や信念を完全に喪失してしまっている。政治やマスコミが、心や魂を悪魔に委ねきっていて、そこに何の悔悟の念も感じていないように見える。自分さえ良ければよいのである。陰謀論だと馬鹿にしながら、陰謀的な操作を平気で行っている。検査数を減らしているのか、数字自体を改ざんしているのかはわからないが、今のコロナ新規感染者数は明らかに選挙モードであろう。ひとまずの平穏無事で、国民の不安感情が軽減された状態は、現下の自民党体制が選択されるに適した政治環境であると言えるであろう。ということで今回の総選挙は自民党が勝つのであろう。自民党自民党以外も日本の政治手法は同じであるので結局は同じなのだが。ここまで政治と報道で意図的に都合よく、国民を騙して日本の現実を作り上げることに何の意味があるのであろうか。自民党総裁選から総選挙への流れとコロナの感染者数の減少は、どう見ても自然ではあり得ない。これが日本なのである。そもそも新しい総理大臣は河野氏がなる予定だったはずである。国民の人気が高いということになっていた。ワクチンを推進する大臣に就任して(そんな職種の大臣が存在すること自体がおかしいことであるが)、自らワクチンを打つ国民へのアピールは、言ってみれば総理大臣の座を獲得するための見返りとしての意味を持っていたはずである。そのワクチンが実は偽物で、本当は密かにイベルメクチンを飲んでいたとまで言うつもりはない。アメリカはともかく日本ではそこまでの誤魔化しは難しいであろう。日本の政治家は、我々国民が考えている以上に総理大臣になりたいという願望が強いのである。総理大臣になれるのであれば、その代償として寿命が大幅に縮まっても構わないと思っているのだと想像される。よく言えば日本の政治史に名を残すことに命を懸けているとも言えるのであろうが、国民や国のためにしていることではなくて、結局は悪魔やアメリカに魂を売っているだけのことである。ところが河野氏は魂の安売りであまりにも強引なワクチン推進を行い、国民の不信と怒りを買ってしまった。このままで河野氏を総理大臣にしては衆議院選挙に勝てないと、恐らくは二階氏あたりが絵を描いたのであろうが、女性候補二人を立てることで票を分散させて、当初の筋書きであった河野総理大臣の路線を変更することになった。ただし高市氏は本気で女性初の総理大臣になる野望を強く持っているのだと思われる。なぜかと言えば、立候補を表明してまもなくこれ見よがしに、国会議員では珍しくワクチンの2回目接種が終了しましたとアピールしていたからだ。野田氏は本気で勝てるとは思っていなかったであろうし、恐らくはワクチンも打てはいないであろう。菅前総理もワクチンを打っている。何が言いたいかと言えば、日本の政治権力の枠内においては自身がワクチンを接種するということは、コロナの感染予防というよりも、アメリカに媚を売ったり、総理の座を射止めるための政治的な道具でしかないということなのである。だからその目のない国会議員たちは全員ではないが、ほとんどがワクチン接種から逃げているはずである。菅氏は総理に就任してから打っているが、あの人は苦労人で総理大臣になることが自身の政治キャリアのゴールのような政治家であった。総理大臣になった時点でフルマラソンを完走し、走り終えた老人ランナーのようなものである。総理になってから政治的な成果を期待することは、そもそもフルマラソンを走り終えたばかりの年寄りに(確かにそれだけでも凄いことではあるが)、もう一度フルマラソンのスタート地点に立たせて再度、走らせようとするもので土台、無理だったのだと思われる。同じ年寄りでもアメリカのトランプ氏やバイデン氏とは気力も体力も比べ物にならないぐらいの差があると考えられる。要するに菅氏は総理大臣になった時点で人生の目標点に到達してしまっているので、もういつ死んでも本望だと考えていたとしてもおかしくはないということだ。ワクチンを拒否するブラジルの大統領とは、日本的政治の精神性とか、死生観とか、政治環境の特殊性などにおいて色々と違いがあるということだろう。因みに岸田総理は存在感の薄さが功を奏して、たなぼたで総理大臣になったということで、ワクチンを打たなければならない必要性から免除されていると推測される。ともかくもその一方で選挙期間中だけは一時的休戦のようにコロナを収束させ、自民党を勝たせて、また落ち着いたころには第六派発生で、ワクチンを打て打ての大合唱が始まるのは目に見えている。自主的に買ったのか、買わされたのかはわからないが、もうすでにファイザーと1.2億人分の契約を済ませているので、いずれはそれを何としてでも消費しなければならないので、そういう筋書きにならざるを得ないことは誰しも理解できることであろう。もうすでにその予兆は現れている。コロナの感染者数が日本では不思議なことにこれほど少なくなっているが、どさくさに紛れたようにワクチンそのものへの警戒感を薄れさせようとしているのであろうが、季節性インフルエンザのワクチンを打てだの、子宮頸がんのHPVワクチンを再開させる動きが活発化してきているかと思えば、挙句の果てに5歳から11歳の子供相手にコロナワクチンを接種させるための悪魔的な協議を既にファイザーが日本政府と進めているということである。無茶苦茶じゃないか。あなたは無茶苦茶だとは思わないか。それからついでに言えば、厚労省も政府も今や平気で嘘をつく。嘘は悪いことではなかったのか。モデルナのワクチンに金属片が流入していた件で、厚労省はその結果報告において何らかのステンレスの機材から剝離したものであるということであったが、それはどう考えても嘘だとしか思えないものである。当初、その金属片は磁石に反応していたと報道されていた。そこに嘘があるとは考えられない。そこで嘘をつく理由がないからだ。しかしステンレスは磁石に反応しないはずである。またステンレスの機材の一部がワクチンに混ざるほどの微細な剥離をするようなことは常識的には考えられないことである。大衆は政府や役人が重々しく発表することは信じなければならないと思い込んでいるようであるが、そういうものではないはずである。結構な頻度で、幼稚で誰もが少し考えればおかしいとわかるような嘘をついているものである。嘘をつかざるを得ない状況下にあるとも言えるけれど、嘘の可能性が高いことには何ら変わりはない。

お笑いタレントが反社との交流で金をもらっていたのに、もらっていなかったと嘘をついてTVから追放されることは正しいことなのか、どうかよくわからないが、政府や厚労省が国民全体の命に関わることで本当のことを言っているのかどうかわからない、嘘の可能性があるということは比べ物にならないほどの大問題ではないのだろうか。嘘ではないとしても国民が知るべき政府にとって都合の悪い否定的な情報が、意図的に歪められたり、隠蔽されるというようなレベルで言えば、ほぼ毎日のように日常的に行われていることである。日本は、いや世界全体はそういう風にして回っているのである。選挙を前にして、もはや選挙などどうでもよいが、日本の国民はそういう危機的な現状について心から憂うるべきである。分からない人には何を言っても同じであろうが、分かるべき人にはよく分かっていただきたいと思う。

(吉川 玲)