龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

戦争のない世界

戦争が始まってしまってから20日ほど経過した。我々が報道で目にする戦争の姿は、凡その戦死者数と爆撃された市街地の断片的な映像のみで、戦死した兵士や犠牲になった一般市民の遺体を見ることはない。それでという訳ではないが、閲覧注意の某エログロサイトで戦死した兵士の画像を見ていたが、何とも言い難い日常生活を放棄したくなるような無気力な気分に陥った。人間の肉体とは近代化した兵器の前にはいとも簡単に破壊されるのだなと。ライフル銃で頭を撃ち抜かれると人間の顔は、西瓜のように破裂して跡形もなくなってしまうのか。かつての日本でもそういう悲惨な光景は多く見られたのであろうが、20歳前後のまだあどけなさの残る兵士の死体画像を見ていると、やはりこの地球上の人類の在り方の何かが間違っているという思いが強くなる。何が間違っているのであろうか。誰も本当は殺し合いなどしたくはないはずである。生命を奪われ、破壊された一個の純粋な肉体には、西と東の区別もなければ、自由主義共産主義の政治体制の痕跡もない。そこにあるのは死ぬ必要のない生命が、戦争と言う一大イベントのために無残に絶たれたという無慈悲で冷酷な現実だけである。それではなんと言うべきか。戦争反対、STOP THE WARと唱え続けば良いのか。戦争反対と言って戦争がなくなるのであれば、何の苦労もない。そうではないであろう。戦争反対のシュプレヒコールに反対するものではないが、我々が生きているこの物質世界においては、反対したり、否定したり、恐怖の感情を抱いた対象がどういう訳か不思議とある時に、抑圧から解放されるが如く出現するのである。よって市民が戦争反対を声高に唱え続けるほどに、戦争の危機は当たり前のように消滅しないで継続されるだけではなくて、ある意味では突発的に戦争を発生させたり、拡大させる機運を醸成しているのだと見ることも出来るのであろう。そのメカニズムとはどういうものなのであろうか。戦争反対を唱えないでどうすればこの地上から戦争をなくすことが出来るのであろうか。私は、想像することだと思う。何を想像するのかといえば、戦争のない世界をだ。ジョン・レノンが作ったイマジンという曲のメッセージは、想像しさえすれば魔法のようにそのような現実が出現するということではないと思う。それでは戦争反対と唱えて戦争がなくなることを期待するのと同じであろう。そうではなくて戦争のない世界を想像してみれば、人々はそんな世界は想像できないことに気付くことになるのだと思う。その時に初めて、何で戦争のない世界が想像できないのか、つまりは何で戦争がこの世に存在するのかということの本当の意味を思考する扉を開くことになるのだということなのであろう。つまりは戦争反対のスローガンは、戦争の意味を知ることへの思考停止の働きしか持ち得ていないから、結果的に戦争の現実を強化させているということである。ジョン・レノンは、世界から戦争をなくすためには、戦争の意味を知りましょうと、そしてそのためには国境や天国の、つまりは思想のない世界を想像することによって、何が悲惨な現実を作っているのかを人々が自分の頭で考え、それまでの管理化された思考様式から解放されることのみによって道が開かれるのだと人々を導いたために、危険視されて殺されたのである。戦争のない世界を想像すれば、自ずとわかるであろう。戦争とは状況が生み出した偶然の産物なのではなくて、必要性によって作られた必然的なイベントなのである。必要性が特定の状況を作り上げているということも出来る。端的に言えば、戦争は戦争を必要としている人々によって意図的に作られているのである。これはマスコミが力説する軽薄な陰謀論などではなくて事実そうなのだ。たとえば今回の戦争で、戦争のない世界を想像してみれば、NATOの東方拡大がロシアにとって脅威だというのであれば、ロシアもNATOに加盟させればよいではないか。そうすればロシアもEUの西側諸国も脅威が消滅して、戦争の起こり様がないではないか。ソ連が消滅した時点で冷静構造が終結してNATOに対立するワルシャワ条約機構も解散しているので問題はないはずだ。しかし実際にはそうなると困る勢力が地球上には存在しているということだ。そういう勢力は世界の対立と戦争の構造に依存し、維持させようと企てているものである。はっきりと言えばその勢力とはユダヤ系の国際金融資本である。西側諸国はその支配下にあって彼らの戦争の必要性に巻き込まれて、一つのシナリオの下に動かされている。プーチンは世界統一政府を目論むグローバリストの国際金融資本勢力の傀儡になることを拒否し、対立し続けてきたことが、今回の戦争の根本的な要因である。この戦争の目的はプーチンを失脚させるためのものである。だからマスコミは盛んに「プーチンの戦争」であると強調し、また精神状態がおかしくなっているなどと指摘しているのであろう。何も私はロシアやプーチンが正しくて、善であるなどと言っているのではない。西と東に善と悪に振り分ける思考が戦争を作り出しているのではないか。善悪ではなくて人々はもっと戦争がどのようにして発生するのかということをよく考えるべきだと思う。マスコミが述べていることはそのように考えて欲しいことを並べ立てているだけなのだから。今の時代は日本が戦争をしていた80年前とはちがって世界各国が技術や経済で緊密に結びつき過ぎているので国レベルで見れば戦争をして特になるようなことは何一つとしてないし、自由主義であっても共産主義でも思想上の対立軸が戦争の要因になることもあり得ないのである。戦争の目的ははっきり言えば、国家を超越した国際金融資本勢力の金儲けである。ロシアにしても一つのシナリオに従って戦争せざるを得ない状況に追い込まれただけで、莫大な戦費を費やしてSWIFTから排除され、国際的に孤立し、経済制裁を受けることの損失から見れば、ウクライナの領土の一部または全部を得たとしてもまったく割に合わないはずである。ロシアも本当は戦争など望んでいなかったであろうことは間違いないことと思われる。それがどういうわけか知らぬ間に核兵器が使用されることが危惧されるような危険極まりない状態にまでになっている。ウクライナはこう言っては何だが最初から見捨てられていたのだ。ロシアが侵攻して戦争状態になってから第三次世界大戦を回避するためにアメリカやヨーロッパ諸国が派兵しないという理屈はもっともだが、2月24日の侵攻前にウクライナの国境沿いに10万人もの軍隊をロシアが配備した時点で、本来であれば、西側がロシアの侵攻を望んでいなかったのであれば、NATOウクライナに軍を派兵してロシアとの均衡状態を作っていたはずである。それを全くしないで今にもロシアが攻め込むような煽り立てるような報道ばかりが流されていたことがそもそも不自然であろう。こういう風にして戦争状態は作り上げられるのかということがよくわかる。1941年の日本海軍による真珠湾攻撃も恐らくは同様にそうせざるを得ない状況に追いやられた結果だったのであろう。巧妙といえばきわめて巧妙である。地球上から戦争をなくすためには、はっきりと認めななければならないことがある。それは誰一人として、そして世界中のどの国家も本当は戦争を望んでいないということである。超国家的に戦争を起こさせて、世界から人口を減らしたり、金儲けをし、世界統一政府の実現を企てる一部の勢力が確かに存在するということだ。世界中の人間がその事実を理解できた時に初めて、戦争のない世界が想像できるのである。

(吉川 玲)