龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

北朝鮮問題と日本の政治

北朝鮮のミサイル発射が止まない。日本人にとって見れば、北朝鮮のこのような行為に対して感覚的に麻痺してしまうことが最も恐ろしい。地震か台風のように不可抗力の出来事として、またかみたいな感じで受け止めていると、ミサイルが頭上を通過するだけでなく、いつ本土に着弾してもおかしくないということになりかねない。北朝鮮のような国に対して、制裁か対話かという選択は難しい問題であるが、二者選択ということではなくて制裁と対話を同時進行で進めなければならないということであろう。それは国連決議を通じた国際的な枠組みの中で世界各国に共有されている認識だと思われるが、言うまでもないことだが、制裁は北朝鮮以外の世界が主体となるものであることに対して、北朝鮮にとってみれば核実験やミサイルの発射が、制裁に対する報復というか、世界に対する制裁を意味するものである。そして世界にとっても北朝鮮にとっても、そのような駆け引きを前提として、いかに有利な対話なり安定を導き出すことができるかということが目的となるものであって、現段階においては制裁やそれに対する挑発そのものが一義的な目的になっているものではない。しかし今後、ある一定の臨界点を超えて、制裁や挑発が一義的な目的に変質した地点から確実に戦争へと踏み込むことになるであろう。現時点ではまだ戦争直前の領域へは踏み込んではいないと思われるが、アメリカはその臨界点に意識をフォーカスさせ始めているようにも見られる。しかしアメリカももう以前のアメリカではない。戦争に突き進むことが正しい選択だとは言えないが、今のアメリカには新たな戦争をするだけのモチベーションなりエネルギーがあるようには見えない。その分、相対的に中国やロシアの発言力が影響力を増してきている。そしてその政治力学の微妙な変化が北朝鮮を増長させる原因になっていると分析されるものである。先日の国連における北朝鮮への制裁決議で、石油の全面禁輸と金正恩氏の海外資産凍結が見送られたことも、結局はアメリカの国際政治における後退を意味しているだけで北朝鮮への懐柔には全く結びついてはいない。懐柔どころか、北朝鮮のような独裁国家にとっては、自国に対する制裁の妥協や見送りは、軍事的な挑発行為の意義と価値をより活性化させるものにしかならないということである。よって北朝鮮に対しては、日本を含めて世界各国はより踏み込んだレベルで制裁と対話を均衡させていく必要性があると考えられる。基本的にはこのような交渉において、中、長期的には兵糧攻めは非常に効果的な手段である。石油の全面禁輸は太平洋戦争における日本のように、急激に追い込むことになって暴発を誘発することになりかねないので危険な選択ではあるが、金正恩氏の金融資産の凍結は実行すべきではなかったのではないかと私は考える。最終的には独裁者にとって守るべき価値は自らの金と命しかないものである。ともかくも日本が認識すべき最も重要なことは、アメリカの抑止力が絶対的なものではないということである。いざ戦争ということになれば、北朝鮮の背後でロシアや中国が連携する可能性は大きい。ロシアや中国とアメリカとの対立の構図は北朝鮮を保護し、益するものでしかないものであり、北朝鮮の戦略はその間隙を最大限に拡げて利用するものである。だから本来は北朝鮮を追い込むためにはアメリカがロシアや中国との密接な協力関係を構築することが不可欠なのであろうが、トランプ大統領にそこまでの手腕があるのかといえば疑問である。むしろロシアや中国からすれば、北朝鮮の軍事的な危険性は駆け引きのカードとして温存させておきたいということではなかろうか。日本からすれば、これまでのアメリカ頼みの一辺倒ではリスクが大き過ぎるものである。非核三原則の下で様々な意見もあるであろうが、ニュークリアシェアリングも前向きに検討すべきであると私は思う。それから実態はわからないが、朝鮮総連などを通じてパチンコ業界から巨額の金が朝鮮に送金されているのではないかという疑惑についてであるが、現在においては直接のルートはなくても第三国(中国など)を迂回させての送金はあってもおかしくはないであろう。日本の政府がはたしてどこまでそれらの現状を把握しているかとなると非常に心許ないものである。日本人が1年間に20兆円も費やしているギャンブルの金の一部は、北朝鮮の核開発やミサイル、あるいは党役人の資産に化けている可能性が高いものである。この際、北朝鮮への送金は当然のことであるが、パチンコそのものを禁止してもよいのではなかろうか。それからさらに言わせていただければ、日本国内の朝鮮学校における授業料無償化を求める裁判についてであるが、棄却される判決が出ると在日団体などは差別だなどと騒ぎ立てるものであるが、果たして本当に差別に該当するのであろうか。文科省の指導綱領に従った教育を行っているのであればともかくも、そうでないのに日本人が納める税金を朝鮮学校の教育資金に使わせろという主張はあまりにも虫が良すぎるものであり論外である。日本人は差別と言う言葉にあまりにも弱過ぎるから、そのような裁判なり主張が提起されるものであると考えられる。我々の頭上には絶えずミサイルが通過するだけではなく、地上においても様々な問題を抱えているのである。それもこれも日本は政治が全く機能していないことの必然的な結果なのである。