龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 115


その桜文鳥を妻は入院に際して病室に連れてゆくことは当然出来ない。妹の家に持って行かせようかとも

思ったのだが、小鳥とは言っても水を交換したり鳥かごの糞を掃除したりと結構手間が掛かるのである。

また小鳥は習性としてえさの殻を撒き散らすので部屋が汚れる。何度も掃除機をかけなければならないこ

とになる。そういうことを考えると必要以上に妹家族たちに迷惑をかけてはならないと思い、仕方ないの

で私が世話をすることを息子を引き取る二日ほど前に妻に電話で伝えた。ところが妻は私に小鳥を預ける

ことを躊躇しているようなのである。理由はよくわからないが、どうも息子が大変心配していると言う。

それで息子に代わってもらい話しを聞くと、息子はこう言ったのである。

「心配やねん。亀、死んだやろ。」

息子は覚えていた。実は1年ほど前にこれも息子のために近くのホームセンターで小さな緑亀を買って実

家で飼っていたのである。週末に息子が遊びに来たときに見せていた。有名デパートではなくホームセン

ターで買ったからという下らない理由で差別などしないで、忙しいながらも大切に育てていたのである。

日中はベランダに出して日光浴をさせていた。夜になると部屋の中に取り入れた。4日に一度ぐらいは水

を替えて水槽の底に敷いた砂利も洗っていた。ところが去年の5月にものすごく気温が上昇した一日があ

って、その時に水温が上昇しすぎて酸素不足になったのであろうか、外に出している間に可哀想に死なせ

てしまったのである。息子はそのことをよく覚えていて、私は小動物飼育者失格の烙印を押されてしまっ

たようである。そういえばどこかで買ってきたカブトムシもすぐに死んでしまったが…。

しかしそれでも私は息子にこう言った。

「パパは本当は生き物を飼うのは上手なんやで。亀の時はちょっと油断しただけや。心配せんでも大丈夫

や。」

「もう、油断せえへん?」

「大丈夫、大丈夫。大体、小鳥なんかはな、部屋の中で水と餌やってたら死ぬわけがないねん。心配せん

でもええからまかしとき。」

その後、もう一度妻に電話が代わると息子だけでなく妻までが心配しているような口調である。それで私

がちょっと嫌味気味に「えらいまた、大事にしてんねんな。」と言ってやると妻は、「だって家族同然や

から。」と答えた。

その瞬間にわかった。私がマンションを出てから、私の代わりに桜文鳥のプチがどうも家族に昇格してい

たようであった。私はもう家族ではないのである。その翌日にマンション前まで息子とプチを迎えに行っ

た時のことである。妻から聞いた話しでは、当日になって息子がまた急にプチの身を心配しだしてさっき

まで号泣していたというのである。それでペットショップに預けるかどうか迷っていたらしい。私は話を

聞いていてほとほと馬鹿らしくなってきた。私の目から見れば、本当に心配しているのは息子ではなく妻

のほうなのである。妻は、私が私の代わりに家族に昇格したプチを恨んで殺してしまうとでも思ったので

あろうか。息子は妻のそのような感情に一時的に連帯というか同調しているだけなのである。

息子を妹に預けている期間中、何度か私は妹の家に行ったが息子はプチのことなどもうすっかり忘れてし

まっているようであった。私にプチの様子を聞くことすらしない。子供とはそんなものである。

しかし今改めて思うことであるが、息子は妻とプチの三人(二人と一羽)で一家族として暮らしている方

が幸せではないのか。あるいはそうではないのかも知れないが私には正直なところよくわからないのだ。

家族というものが。

家族の概念だけではなく、私はこの地上に居場所のない人間であるような気すらする。それは私が大人に

なりきれていないからかも知れないし、元々私という人間は孤独という森の奥深くに帰っていかなければ

ならない宿命を背負っているようにも感じられる。マーチン・ルーサー・キングは「私には夢がある」と

言った。対して私の場合はこういうことになる。

私には夢も、希望もない。

そればかりか私には居場所すらない。

しかし私には道がある。

曲がりくねっていようと

暗くとも、明るくとも

私には歩むべき道がある。


昨月6月にやっと妻との離婚が成立した。調停を申し立ててから不調になり、家裁での判決、高裁での和

解まで2年かかった。それ以前の親族間の紛争も含めると5年間、双方弁護士を立てて争ってきたのであ

る。そのような泥沼の状況の最中にあっても私は息子との接触を保ち続けてこれたし、妻とも連絡を取り

続けた。結果当初から私が要求してきた通り、共同親権の代替となる親権と監護権を分離する方法が採択

され、私が親権者となった。妻と息子は、息子が18歳になるまで私が所有するマンションに住み続け、

私は養育費とは別にマンションのローン代や管理費も負担し続けることになる。

ここまでたどりつくのに何とも大変だったのである。特に親権については私の代理人弁護士でさえ無理だ

と言い続けてきた。しかし私は諦めなかった。私が親権者になる方が、息子の利益になることが明らかで

あるからだ。

本当に大変ではあったが何とか筋を通すことができた。最終的に私が親権者となることを認めてくれた妻

にも感謝しなければならないのかも知れない。これからも互いの協力関係の下、共同で子育てしてゆきた

いと思う。

しかし結婚だけはもう御免だ。婚姻という悪魔の館には二度と戻りたくない。

それもこれも元を質せば政治が腐っているからだ。程度の低い政治家や役人がグルになって、稚拙な善意

や良心で国民生活を支配しようとするところに我々の生活の不幸が生まれる原因の一端は確かにあるので

ある。たとえ育ちの良い二世、三世の世襲議員であろうと、学業成績の優秀なエリート官僚であろうと、

志のない人間が目先の安易な論理や手段に訴えることの弊害が我々の生活の隅々にまで及んでいる。具体

的には次回書くことにしよう。

書くことが私にとっての唯一の復讐の手段であり、歩むべき道である。

兎にも角にも私は離婚したことによって、解き放たれた。

私は跳躍したのである。

私自身が、巣箱から飛び立った小鳥のようなものである。