龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政治家の言葉とマスコミの問題

政治家は誰よりも言葉に責任を持たなければならない職業であると思う。と言っても、一言一句を正しい日本語の用法で正確に話すという意味ではもちろんない。失言や言い間違いの揚げ足を取られることを必要以上に警戒することでもない。
そのようなレベルのみで政治家の言葉を問題視するのは、民主主義の民度が低いからであって、馬鹿にする方も全体の一部として馬鹿にされなければならないことになるのだと私は思う。
しかし政治家の過去の発言内容が、現時点での状況判断と異なることになるのであれば、誠実かつ正確に国民に対してその推移を説明しなければならない責任があるはずである。鳩山首相は、普天間飛行場の移設問題で米軍海兵隊の抑止力について、「考えが変わった」と述べた。私は公約云々よりもこの説明の仕方にこそ日本の民主主義の問題が隠されているように思えてならない。鳩山首相は自らの心情と現在の状況について正確な言葉の選択をするのであれば、「私の力不足のせいで、当初の考えを変更せざるを得ないことになりました。」というべきではないのか。その上で、沖縄県や徳之島の人々に頭を下げてお願いするべきである。もちろんそのような説明をされても納得する人はいないであろうが、少なくとも日本の総理大臣の力が及ばない所で日本の政治が最終的に決定されざるを得ない現実に日本国民が目覚めることができるであろう。
そうして初めて、日本が今後どのような社会を形成していくべきかについて国民全体で思考し得るスタートラインに立てるのではないだろうか。政治家の仕事とは、自らを通過点として次の世代に民主主義の質を引き上げてゆくためのバトンを手渡してゆくことであると、私は考えるものである。鳩山首相の態度は姑息なスタンドプレイと言うべきか、自分一人が批判を引き受けさえすれば収まるべきところに収まるのではないかとの判断があるように思えてならない。本当の問題の所在が明らかになり、国民の認識が高まれば、次の政治は少なくとも今よりは良くなるはずなのである。この点において日本のマスコミ全体にも大きな問題があるように私は考える。たとえば、韓国の大統領は退任後に汚職で逮捕されたりもするが、とりあえず就任中は韓国社会の進歩のために全力で仕事をさせようとする。ところが、日本のマスコミ(特に新聞社)は、在任期間中に、政権獲得以前の微々たる問題を掘り起こしてきて、国民を洗脳し強引に起訴まで持っていこうとする。政治家にきちんと政治をさせないこと、民主主義の質を遅滞させ決して進歩させないこと、国民意識を愚鈍にすることがマスコミの権力に深く結びついているように思えてならない。これらが日本のマスコミの特権階級意識による大きな弊害であると私は主張するものである。
今や民主主義の質においても、日本は韓国に遅れをとっているように思える。政治家の言葉とマスコミ構造の問題は、緊密に表裏一体の関係を成しているように考えられる。さあ日本よ、どうする。