龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ヤカラの政治

“ヤカラ”という言葉をご存知であろうか。まあ、誰でも知っているとは思うが、私はこの“ヤカラ”は関西特有の俗語だと考えていた。
ところが広辞苑で調べて見ると、きちんと載っているのである。
【族】① 一家一門。うからやから(親族)
   ② 「輩」とも書く。ともがら。なかま。党類。多く卑しめていう。     「盗人の―」。「不逞の―」
        不平を言い、また、口論をしかける者。
この言葉のユニークなところは、元々が複数形を意味する語源であるにも関わらず、現代語的には単数形で使われることが多いことである。どういう人に使われるのかと言えば、あえて説明するまでもないと思うが一般人があまり関わりたくないタイプの人々である。
以前に私は、元妻が苦労してやっと採用の決まったパートの仕事が、掃除用品の交換を契約している各家庭に車を運転して巡廻するという内容であったのだが、その担当エリアが大阪の西成(ニシナリ)地区であったために、元妻の母親が、「そんな当たり屋が仰山、出没する所を走り回る仕事の保証人になんかようならん。」と保証人になることを拒んだために結局、流れてしまったことを書いた。地名や地域で差別するのは良くないことではあるが、保証人になる立場とすれば、そのような気持ちになるのもわからないではない。私でもその仕事の保証人になるのはイヤだった。(その後、元妻はベビー用品を販売する会社にパートが決まって、私が身元引受けの保証人になった。)
要するに“ヤカラ”とは当たり屋のようなことを平気でする人々のことを指していう言葉である。低速で走行している車にわざと体をぶつけて示談金を請求する。普通の感覚の人間は決してそのような真似はしないが、モラルの一線を越えている人には何の罪の意識も感じない。現実に、法律的に警察は民事不介入であるから当事者同士の話し合いということになるのであろう。モラル(道徳)とは何ぞや、と突き詰めて考えれば簡単に答えが出る問題ではないであろうが、ある特定の状況の下で自分が相手に対して絶対的に有利な立場に立ち得るという純粋なゲーム理論だけで考えれば、“ヤカラ”の振る舞いにはそれなりに合理性があるとも言える。もちろん、そこには品性の欠片もないのであるが人間の生き方の一つに品性を度外視するという選択があったとしてもおかしくはないのである。品性を重視する人がいれば、当然無視する人だっている。ただ、それだけのことである。品性を社会システムの中でどのように考えるかは非常に、難しい問題だと思われる。
前置きが長くなったが、民主党三宅雪子議員の振る舞いは私にはヤカラに見える。そうではないという人もいるであろうが少なくとも私の目には明らかにヤカラだ。何度見ても、わざと倒れているようにしか見えない。百歩譲って、本当にこけたのだとしても、松葉杖と車椅子はどう考えても大げさである。新人とは言え仮にも国会議員が、それも衆院で3分の2の議席保有する政権政党の議員が街のチンピラのような真似事をして許されるのであろうか。全てではないにせよ、女性が訴える暴力の一部の実態がどのようなものであるか、三宅雪子議員のずっこけ方を観察すればよくわかるであろう。日本人は基本的にモラルを重んじる国民性なので現職女性議員のあのような姿を見たところで大多数は軽蔑の念を抱くだけで、真似をしようなどとは考えないであろう。しかし確実に日本全体の心にメッセージとして伝わる何かがあると私は思う。それはある利害が錯綜した混乱状態の中では、女性などの一般的に弱者とされている者が暴力の被害を受けたと訴えれば、たとえそこに嘘や誇張の可能性があったとしても特に詮索されることもなく、主導権を持って混乱をコントロールし得る暗黙の社会秩序が日本にはあるのだということだと思われる。政治や、司法、メディアなどの大衆を誘導する管理者たちは全てその秩序の内にあるので(その秩序が現在の支配者層にとって都合が良いと言うだけの話で、社会善となるかどうかなど誰も何も考えてなどいないのであるが)いざとなれば猿芝居を演じてでもその状況にもっていかなければ“損”だということになる。ところが、今回の三宅議員のずっこけ方はあまりに下手すぎて、それがまたあからさまにユーチューブで公開され大多数の批判を招いたものだから、大衆を絶えず誘導しようとするメディアなどは内心、戸惑っているのであろうと思われる。
よってこの先は、恐らくこれ以上騒ぎが大きくならないように収束がはかられるであろう。民主党の甘利議員に対する懲罰動議は密かに取り下げられ、自民党も元から何事もなかったかのように“紳士的に”振舞うであろう。メディアは一切この件について報道しないであろう。しかし我々、国民は騙されてはならない。そもそもメディアが国民に伝えなければならないエッセンスは、国民生活のモラルや良心まで汚染するところの権力の本性や実態ではないのか。都合よく情報を取捨選択して、国家的体裁を取り繕いながら社会誘導をなすマスコミは腐った権力と協調関係にあるとも言える。三宅議員がどうのこうのと言うレベル以上に民主党の体質そのものが、まるでヤカラではないか。まったく品性のない人間の集団である。国民に対して自民党支配の政治以上に国民の根本的な思考力を奪い、反モラルのモラルを助長する方向に向かうであろう。なぜならばあまりに程度の低すぎる議員が多すぎるからだと思われる。我々は前回の選挙であまりにも民主党に数を与えすぎたために、本当にどうしようもない者まで混ざってしまっていることだけは確かなようである。
それとも今回のドタバタ騒ぎに、民主党が何ら反省もなく、あくまで党としての正義と正当性を主張し続けるつもりであればそのようなみっともない政党は日本に必要ないから即刻、廃党せよと言いたい。