龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ギャンブル論 1

明けましておめでとうございます。
元日は、とくにすることもなく暇だったので、岸和田競輪場に行ってきた。競輪場に行くのも、車券を買うのも生まれて初めてである。なぜこの年(47歳)になって、1月1日から初詣ではなく競輪なのかということについては、さして深い意味はない。ただの思い付きである。基本的には私はギャンブルは、ほとんどしない。特にパチンコなどまったくする気にならない。ギャンブルと呼べるかどうかはともかくとして、たまにロト6を買う程度である。10年ほど前には、馬券を買っていたこともあったのだが馬鹿らしくなって止めてしまった。何が馬鹿らしいと言って、つまるところは馬に大切な金を賭けることである。私が馬券購入の経験からたどり着いた結論は、馬の能力ほど当てにならない勝算はないということだ。そもそも馬は一体、何を考えているのかさっぱりわからない。いや人間と違って畜生だから何も考えていないのである。実際に、がちがちの本命馬が負けることが多かった。勝つことに対する明確なモチベーションが馬には存在しないからだと思われる。奴らは気まぐれなのだ。それから出走頭数が多すぎる。いくら騎手が操縦しているとはいえ、何も考えていないような畜生を15頭も17頭も走らせて、1着、2着を見事に的中させる方がどうかしているというものだ。要するにJRAは儲け過ぎなのである。そう考えた時点で1円たりとも競馬につぎ込む気持ちは消え去ってしまった。
岸和田競輪についての話しに戻るが、6レース目が行われている1時頃に到着した。がらがらの観客席が嬉しかった。ゆったりとくつろげて一日、時間を潰せる場所を私は発見したようだ。しかしこの日は滅相、寒くて大変だった。見渡すと屋内で観戦できる立派な観覧席がある。近くにいた警備員に聞いてみると有料で500円だという。安いのでチケットを買いに行こうと売り場を聞いたところ、その警備員は思い出したように、ちょうど先ほど座席は完売したところです、と言うのでがっかりしてしまった。しかたなく寒風に凍えながら観戦することとなる。場内で410円の予想誌を買って早速、7レース目から車券を買うことにする。車券の買い方については来る前に大雑把であるが、インターネットで調べておいた。私が決めてあった賭け方は“ワイド”と言って、3着までに入る2車を順位に関係なく当てる方式で、確率的には一番当てる確率が高くて、その分配当は低い。そのワイドに私は、デフレ時代に相応しく1レース500円ずつ慎ましく賭けることに決めていたのだ。
神社で初詣の神籤を引くような気持で、情報誌の予想と直感から2と9をマークシートに記入して購入する。ほどなくして9人の選手たちがトラックに現れ、レースが開始される。最初はベンチに座ってゆっくりと見ているつもりであったが、レースが始まると自然に引き寄せられるように最前の金網の所へ足が向かう。残り2周位の地点になると選手が受ける風圧を防ぐために先頭を走っていた誘導員が走路から離れ、残り1周半に差し掛かるとジャンと呼ばれる鐘が打ち鳴らされる。それまで駆け引きで全力疾走していなかった選手たちが、ジャンが打たれた途端に本気モードに突入する。がらがらの観客席の客から声を上がる。私も自然に「よっしゃ。行け、捲れ。」と声が出る。私が購入した2と9が見事に1、2フィニッシュを決める直前に、私の目前付近で“がしゃ”と大きな音がした。見ると後続の2車が転倒して二人の選手が倒れている。係員が飛び出してくるが二人は中々自力で立ち上がれそうにない。観客席からは
「何しとうねん、ぼけ。はよ、起きろ」とか、「金返せ。」などの情け容赦のない怒声が飛び交う。私は思わず笑ってしまった。いやー、これは面白い。競輪は自転車の格闘技だ。迫力がある。二人の選手は結局タンカーで運ばれて退場した。私はそのレースで470円の配当を取った。今年は幸先が良さそうだ。大吉といったところかな。次の第8レースも私はワイドで430円を的中させた。しかし第9レースから最終の第12レースまでは全部外した。
この日の成績を通算すると、計6レースに1口500円の賭け金(車券は100円単位で購入できる)でワイドを7口と2車複(1着、2着を順位に関係なく当てる)を1口買ったので4000円の出費に対して、収入は(500円×4.3)+(500円×4.7)=4500円であった。競輪場への入場料が50円なので厳密に言えば450円の黒字だが、もっと正確に電車賃まで計算すれば当然、赤字である。しかし、どこに遊びに行ったところでそれなりの金はかかるのだから、まずまずの成績であると言えるであろう。初めての競輪体験で私が感じたことは、競馬よりもずっと割がいいということである。競輪には、競馬の単勝(1着だけを当てる)や複勝(3着までに入る1着を選ぶ)がないが、競馬の大本命馬の複勝配当は110円や120円程度である。私が初体験の競輪で今回的中させた2レースのワイドは、双方ともに一番人気と2番人気の組み合わせなのに400円台の配当が付いている。それも競馬のG1レースは14~15頭立てがほとんどなのに競輪は9車のみである。これだけのことから素人目に推察出来ることは、公営ギャンブルとしての競馬が競輪や競艇に比べて圧倒的に世間の人気や注目度が高いために、それだけ強気の“商売”をしているということである。競輪や競艇知名度を高めて客を増やして行かなければならないので、そこまで強気の商売は出来ないということである。偉そうに解説するほどのことでもないが、ギャンブルにおける利潤追求のメカニズムとはそういうものである。しかし私は生で初めて見た競輪にちょっとした感動があったことは事実である。第7レースから最終の第12レースまでの6レース中、3レースで落車が発生している。その全てのシーンで転倒した選手たちは少なからぬ負傷のダメージがあったようで皆、タンカで運ばれていた。50%の確率でレース中、誰かが転倒して負傷しているのである。こいつらマジやな、というのが間近で見ていた私の正直な感想である。いくら生活や賞金のためとは言え体を張って勝ちにいく姿は、ローマ時代のコロッセウムの闘いに通じるものがあるのではないかと思えるほど真剣勝負の凄みがあった。見ている私自身が、鐘(ジャン)が打ち鳴らされるとアドレナリンが脳内に分泌されていたのではないかと思えるほどだ。インチキとまやかしだらけの今の日本で、このようなリアルな本気が存在するということが嬉しくもあり、思わず私は興奮してしまった。ともかく競輪選手の激闘にやらせがないことだけは確かなようであった。
馬と違って人間は信用出来る、と競輪を見ていて改めて思った。人間の勝利に対するモチベーションにはまったく揺らぎがないからである。それと人間の脚力ほど嘘のない能力はない。陸上競技短距離走を考えていただければ分かる通り、強い人間が必ず勝つのである。競輪で勝つ選手は、女性のウエストサイズ位あるような立派な太股を持っている。強靭な脚力と転倒を恐れない根性の二つの要素だけが勝者になるための条件のような競技に見えた。そのあまりの単純さとわかりやすさに私はしびれてしまったのだ。これはちょっと、はまってしまいそうである。また気候の良い暖かな日に、文庫本を一冊持ってきて、ビールを飲みながら読書の合間にレース観戦することにしよう。さぞかし素晴らしい休日となるであろう。ともかくその日はちょっと寒過ぎたのだ。