龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

栄典制度の問題

勲章や褒章の授与者は、減刑されるはずではなかったのか。もちろん必ず減刑しなければならないという法律はないが、私が知るところでは、天皇陛下から栄典を授与された者は罪を犯した時に減刑される可能性があるし、警察や裁判所は必ず被疑者に栄典授与の経歴が有るかどうかを聞く慣習があると、弁護士から聞いた記憶がある。もちろん国民感情に合うかどうかは別問題である。国民感情にそぐわないのであれば、栄典制度を根本的に見直すべきであり、ケースバイケースで誰かを減刑にして、誰かを授賞後に取り消すということはおかしいのではないのか。減刑とは言っても、懲役刑を執行猶予にするのであればまだしも、起訴を不起訴にするのであれば事件をもみ消しているのと同じである。当局とすれば実質的には内閣が審査をして確定させるとは言え、天皇の名の下に表彰された人間が犯罪者になることを出来るだけ避けたいのであろう。そういう実態は確かにあるのである。特権はないと言っても警察や検察など権力側の情実は消えない。柔道の内柴容疑者の件に関しても、紫綬褒章を受章しているようなので、警察も本音のところでは動きたくはなかったであろうが、最終的には逮捕せざるを得ないと判断したのだと思われる。しかし警察ですら尻込みする事実があれば、周りの人間が内柴氏の不品行を注意できなかったのは当然であると言えよう。内柴氏の嫌疑が事実であれば、時代遅れの栄典制度が内柴容疑者を増長させ、被害を拡大させたとも言える。しかしながら内柴容疑者の過去の栄光まで取り消すことは出来ないのであるから、栄典の取り消しではなく栄典制度そのものを見直すべきではないのか。私は左翼ではないから天皇制そのものは否定しないが、天皇を政治的に利用する構図は明治憲法と現在の日本国憲法は同じではないのか。韓国のように金メダルを取れば、賞金1億円支給などの制度の方が、選手も喜ぶであろうし、国民意識としても抵抗感はないと思うのだが。その上でスポーツ局や芸術局などの部署を内閣に新設して、その下で定年まで公務員として処遇してやればよいのではないか。柔道の金メダリストが次々とK1などの格闘界に転向するというのも、個人的にはどうかと思う。柔道家の下手なパンチやキックを見ても、興醒めするだけだ。