龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

W杯観戦記

W杯一時リーグの初戦で日本は、コートジボワールに破れてしまった。特に気合いを入れて見ていた訳でもないけれど、敗戦のショックで見終わった後に、何をする気にもなれず、現実から逃げるように、正午からまた布団にもぐりこんで3時間ほど寝入ってしまった。この私ですらそうなのだから、選手たちやサッカー関係者はどれほどの衝撃であったろうかと思う。どう見ても、勝ち試合であったのに。前半と、後半の3分の一ぐらいのところまではボール支配率は対等か、コートジボアールの方が一歩、上であったが、試合そのものは完全に日本が支配していたように見えた。負けそうな気配はなかったのである。ところがである。後半の17分にドログバ選手が、投入されて以降に明らかに流れが変わった。ドログバ選手は図体だけはでかいが、いかにも選手としての盛りが過ぎたような、のっそりとした感じの動きであり、最初見た感じではさほどの危険性は感じなかったのであるが、この選手がボールを持つと、何と言うのか妙に威厳があるのである。カリスマとしての威厳なのであろうか。そしてその威厳らしきものの力で、呪術的と言おうか、魔術的に、全体の雰囲気がガラっと変化してしまったのである。これもまたサッカーなのであろう。一人の選手の登場で、コンビネーションとか連携などはまったく無関係に、そのチームの動きが活性化するのである。そして相手チームの突然の活性化に対応出来なかった日本は、疲労の蓄積もあって、立て続けに2本、ヘディングで決められてしまった。見ている方は、正に晴天の霹靂のようなものである。青空の昼間に(試合会場は雨であったが)、2本の雷が落ちたようなショックであった。私の目にはドログバは、まるで女王蜂のようで、他の選手は働き蜂のようであった。女王蜂は自らは動かなくとも、その存在感で他の働き蜂の動きを活性化させるのである。その魔術のような力で、日本は勝てる試合を落としてしまったように思えてならない。しかし、これもまたサッカーなのである。真剣勝負の醍醐味なのだ。真剣勝負にはどこか呪術的な要素が混ざっているように感じられる。しかし呪術や魔術の本質とは何かと言えば、正に本来的な力の差から生ずる副産物なのだと見れる。コートジボワールがブラジルやイタリアなどの強国を相手にしている時に、途中からドログバ選手を投入させたからと言って、これほど劇的に試合の流れが変わることはあり得ないであろう。そういう意味では、まだまだ日本の力不足というか、相手を威圧したり、威圧をはね返すような貫禄がないのである。本田や香川や長友は、今や世界で活躍するスターではあるが、それでも働き蜂であって、ドログバのような女王蜂には成り得ない。この違いはあまりにも大きいように感じられる。まだ一試合終わったばかりであるが、最後まで諦めるなとか、望みはまだあるなどと、私は言いたくない。一層のことギリシャにもコロンビアにも全敗して、早く日本に帰国すればよい。その方が見ている分には気持ちが楽だ。所詮はサッカーなのだから。