龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

W杯観戦記2

見なきゃ良かったな。案の定、ストレスが溜まるばかりだった。と言っても、気になるから、結局、見てしまうんだけれど。日本はギリシャにも勝てなかった。決定力がなかったと言ってしまえば、それまでだけど、日本のサッカーの決定力不足が何から来ているのかた見るに、やはり真面目過ぎるのだと思う。綺麗過ぎるとも言えるけど。今回のゲームもそうだけど、気持ちは感じられた。選手の表情や仕草から、絶対に勝つぞと言う気持ちは伝わってきた。でもその気持ちが、気迫となってプレイに表現されていたかと言えば、全然そんなことはないんだよな、これが。相手チームが一人退場となって、数的優位があるのだから、日本のこの状況から考えても、怒涛の攻撃が見られなければならないはずであった。ところが日本は、ボールを支配して見ている時間が長いだけで、攻めあぐねてばかりで、決定的となる場面を作るところにまでは至っていなかった。真面目過ぎるとはどういうことかと言えば、わかりやすい例で言えば、コーナーキックである。日本にはコーナーキックのチャンスが何回かあったが、どれもゴール前にボールを上げていない。確か、全てのコーナーキックで、ショートレンジのパス回しをしていたように思う。そしてどれもチャンスの場面すら作れていない。これでは何のためのコーナーキック獲得なのかわからない。確かにギリシャ選手には高さがある上に、総体的に守りも固いから、ヘディングでゴールを決められる確率は低いと思う。しかしボールは、物理の法則で、宙に浮いたままではなくて必ず落ちてくるのである。そしてコーナーキックでゴール前に蹴り上げられたボールはどこに落下するのかわからないという不確定要素がある。日本選手に「その気」があるのであれば、ボレーやワントラップでシュートする機会も生まれるのである。ところが日本には「その気」がなかった。そのような決定的なチャンスを生み出す「その気」こそが、プレイで表現されるべき気迫である。私は精神論を言っているのではない。精神論であるのかも知れないが、真剣勝負とはそういうものだと思う。ジャンケンでも何でも、それが真剣勝負であれば、理由はよくはわからないが、気迫のある方が勝つものである。日本のプレイスタイルは総じて言えば、確率と精度を追求するものである。だから高さのある相手には、コーナーキックでもボールを浮かさない。よく言えば理論的かつ科学的であると言えるのかも知れないが、そういう戦術には自ずと限界が生ずると思われる。簡単に言えば、格下の相手には綺麗に勝てるが、格上か同等程度の対戦相手の場合には勝てないし、また勝てないことから自信喪失につながってゆく。サッカーというスポーツは、計算し尽くせるものではないし、野球などと比べても遥かに不確定要素が大きいので、最終的には確率と精度、言い換えればデータと真面目さでは勝ちきれないのだと考えられる。もちろん組織的な連携や戦術も重要ではあるし、それが基本であるとも言えるが、時にはその基本を自ら打ち壊す破天荒さも必要なのであろう。そしてその破天荒さが、より創造的な得点能力や才能を生み出す源となるのではなかろうか。身長差で圧倒的に不利な対戦相手に、それでも敢えて蹴り上げさせて、ヘディングで決めてやろうとするぐらいの闘争心や、パスで逃げずに一人で敵の防御を抜き去って必ずシュートに持ち込もうとするような気迫がなければ、サッカーの神様は決して決定的なチャンスを与えてはくれないものである。もしかすればそれはサッカーだけでなく、人生も同じなのではなかろうか。いかに精密に計算しても計算通りにはならないのである。計算を超えるものとは、芸術的な創造性にまで至らんとするところの気迫(精神)でしかないということだ。