龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

摂理の必然

政務活動費の不正支出疑惑に対する弁明で、大の大人が癇癪を起こした子供のように号泣する映像が、話題になっているようだ。いろいろと出てくるものだな、ネタが。確かに見るに耐えない映像ではある。国内のみならず、国外にも発信されているのであれば、日本の恥だとも言える。しかしである。このような程度の政治家が一体、なぜ日本には生み出されるのかということをよく考えなければならない。幼稚な政治家を馬鹿にして、皆で笑っていれば済まされる問題ではない。ここにあるのは、いや、それ以前に言っておかなければならないことは、全ての事象には原因があるということである。日本の政治家が、幼稚であるならば、幼稚になるべく仕向けられた原因なり、土壌なり、背景があるということなのだ。そういうことなのである。我々有権者は、そのレベルまで、きちんと考えなければならないのである。政治家のみっともない号泣映像を見て、笑っているだけでは、結局、政治家も国民も五十歩百歩である。ではそのような政治になっている理由であるが、私から見れば、マスコミが原因である。何でもかんでもマスコミが悪いとは言わないが、明らかに政治とマスコミのいびつな関係性が、政治を劣化させている。たとえば例のヤジ問題にしてもそうだが、東京都議会での「主人公」であった塩村文夏議員の、議員になる前の素行に問題があったことが発覚し、週刊誌などでも報じられるようになると、マスコミは何を考えているのか、国会でも同じようなヤジを探し出してきて、塩村議員と主人公をすり替えた上で、自分たちに都合のよいドラマをお茶の間に流し続けようとしている。1ヶ月半ほど前に喫茶店で見た写真週刊誌では、安倍総理は、日々精力的に好物の高級韓国焼肉店を食べ歩きながら、読売新聞社の政治部部長とも会食していることが報じられていた。何をしているのかと言えば、読売新聞の思惑とすれば、集団的自衛権の行使容認について安倍政権を応援し続ける見返りに、消費税10%増税時に軽減税率の導入で新聞を対象品目に入れてもらおうという魂胆なのである。もちろんビジネスの契約のように、こうだからああだ、と明文化させたり、言質を与えるようなものではないであろうが、そこは阿吽の呼吸で意思疎通を図ろうとしているのである。そういうことが日本の政治とマスコミの関係性なのである。ヤジ問題でも同じだが、女性の尊重と言えば、いかにも聞こえは良いし、誰にも否定は許されないが、その実態は、政治とマスコミの癒着が生み出した国民不在の安っぽいドラマのようなものなのである。サッカーと同じで、マスコミが常にボールを支配しながら都合の良い時にシュートを決めようとしているのである。そういうことを延々と繰り返していると、政治の質が決定的に劣化して当然である。交通が閉ざされた貧しい山村で、近親者間で結婚を繰り返して子供を産んでいくと、何世代か後には、奇形児が生まれる可能性が高くなる。これは道徳とか規範の問題ではなく、自然の摂理である。政治とマスコミの近親婚も同じであり、そのような癒着構造から、未熟で程度の低い政治家が必然的に生み出されてくることとなるものである。それで、あのような子供じみた号泣の地方議員も出現することと相成るのである。全ては必然なのだ。それがわかるかどうかと言うことが、本当の知性ではないのか。まあ今のレベルでは、地方議員のみならず、国会議員もほとんどがわからないのであろうが。いっそのこと、日本の政治家全員で赤ちゃん返りをしたように地団駄を踏み、泣きじゃくるための儀式か、休日でも設ければどうであろうか。それぐらいのことをしなければ、日本の政治とマスコミの近親婚はなくならないのであろう。