龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

W杯の総括と日本サッカーの進む道

サッカーW杯も終わった。決勝ではこれまで歩いてばかりのメッシも、これで最後の試合なのだから、攻撃参加時以外のボール奪取への動きも少しは見せるのかと思ったが、そういうこともなく得点も不発に終わって、敗れてしまった。ただ全体的に見れば、決勝に相応しい見ごたえのある試合で、素人目にも非常にレベルの高い試合であったと思う。サッカーは、運不運も影響するスポーツであると思うが、それでも勝つべきチームが勝ち進み、優勝すべきチームが結局、優勝したという印象を受けた。但し、その中でもネイマールの欠けたブラジルを別にして、ドイツとオランダとアルゼンチンは実力が拮抗していて、それぞれが一つの完成されたサッカーの形と力を持っていたのだと思う。個人的にはドイツとオランダの対戦も見てみたかった。恐らくはその試合も00から延長戦に突入し、PK戦になるかどうかと言った、白熱した展開になっていたと想像される。ドイツは確かに一個人の才能に依存しない、パスをつなぐ非常に緊密な組織力と、高い攻撃能力が兼ね備わったサッカースタイルである。そのドイツがアルゼンチンを破って、優勝したことによって、日本の組織型攻撃重視のサッカーも間違っていなかったという声もあるかも知れないが、それはどうであろうか。ドイツであれ、アルゼンチンであれ、オランダであれ日本のサッカーがお手本にするのはともかく、単純に比較するのであれば、あまりにレベルが違いすぎるという気がする。ドイツ、アルゼンチン、オランダに共通して言えることは、攻撃スタイルに違いはあれ、守備が非常に堅固であるということである。それぞれサッカー観の違いもあるかも知れないが、私の見方では、守備という土台があってこそ、攻撃が生かされるのである。守備は建築物で言えば、基礎工事の部分に相当し、攻撃が建家である。どんなに立派な建家であっても、土台が脆弱であればちょっとした地震などで崩壊する。或いは、守備は主婦が守る家庭の秩序で、攻撃は夫が外で働いて金を稼ぐことにも相当する。男女共同参画の思想の下で、主婦と夫が入れ替わったとしても同じである。家庭内でゴタゴタしていると、外での活動に支障をきたすということである。サッカーの面白さとはそういうところにあるのではなかろうか。どこか人生や社会に通じるところがあるのである。確かに日本のサッカーは、20年前に比べれば非常に強くはなった。W杯にも安定して出場できるようになった。しかし今回のW杯の結果から、アジアの出場枠4.5という数は、アジア勢が1勝もできなかったことから考えても、妥当でないということは言えるであろう。よって日本が本当に、安定してW杯に出場できるだけの実力を有しているかどうかも微妙なのである。アジアの出場枠は2か精々3が妥当なのであろう。そうなった時に、果たして日本が安定して出場できる実力を持ち得ているのかということである。ましてやW杯の1次リーグを常に突破できるまでには、かなりの壁があると考えられるものである。私は、今後の日本サッカーの進化プロセスというものを10年ぐらいの期間の時間軸で考察するに、やはり第一に守備を重視して強くしていかなければならないと思う。徹底的に守備を堅固にして、その上でその余力で、攻撃をどのような方向性に伸ばしてゆくかという順序になるべきではないのか。コスタリカのようにカウンター型の攻撃スタイルや、アルゼンチンにおけるメッシのように特定の才能に全体の組織力を集中化させるスタイル、或いは今回、優勝したドイツのように、GKも含めた巧みなパス回しによる、全員参加の非常に高いレベルでの組織的攻撃力などである。繰り返すが、いずれも高い守備力がベースになっているものである。日本の攻撃重視の組織プレイなどとは、今の時点で比較して、どうのこうのと言えるものではないと思う。今回の結果を総括すれば日本のこの4年間の歩みは、攻撃も守備も中途半端に終わってしまったと見れる。言い換えれば、柔軟かつ縦横に攻撃力に転化し得るほどの守備力を、未だ確立できていないということに尽きるのではなかろうか。やはりローマは一日にして成らずと言うべきか、サッカーも経済も人生も、地道に努力していく以外に道はないのであろう。