龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

独裁国家である韓国の危うさ

今更、言うまでもないことだが、韓国などまともな国ではない。法治国家であるかも知れないが、民主国家ではない。権力独裁型の法治国家である。韓国の朴大統領を侮辱した記事を掲載したとして、名誉毀損で取り調べを受けていた産経新聞、前ソウル支局長が韓国の検察により起訴されることとなった。その記事内容に関しても、韓国の有力紙である朝鮮日報を引用したものであるに過ぎない。元々韓国に批判的な姿勢の産経新聞に対して、韓国の大統領が、私怨の感情から権力を発動させて報復しているのであり、これでは韓国という国は、そして国の大統領は、イラクフセイン元大統領や、リビアの元最高指導者であったカダフィ大佐と性質的に何ら変わるところがない。韓国に健全な民主主義を期待するのが間違っている。そもそも民主主義という高等な制度は、そう簡単にその国に根を下ろして実現されるものでは有り得ない。
そういう日本もそうだが、名実ともに立派な民主主義国という地点にまでは至っていない。日本にしても内実的にはかなり怪しいところが多い。国民の声は政治権力と一体となったマスコミによって捻じ曲げられたり、誘導されるだけの対象であることがほとんどである。しかし外層的な見掛けの民主主義は、少なくとも形式的には保たれている。政治に都合が悪いことを封じ込めたり、弾圧するために法律を恣意的に悪用して統治を図るような誰が見ても民主主義の破壊となるような常識外れのことは行われない。ところが韓国の政治は、内実が民主主義でないだけではなく、外層的な面においても到底、民主主義と乖離したようなことが時として強行される。政治が権力によって私物化されているのと同じである。また言い換えれば、中身も外見も政治の私物化と看做される独裁体制でなければ、韓国という国は持たないのである。この日本と韓国の民主主義のレベルの差はあまりにも大きなものである。韓国は、日本が対等に向き合って前向き、建設的な話しが出来るような国家では有り得ない。一応、韓国は自由主義国家という形式を政治的に採用しているものだが、内実的には中国や北朝鮮の政治に極めて近いものであると見れる。だから歴史的にも政治的にも韓国は中国に対して親近感を持っているものである。
ところが日本の政治は、アメリカが主導するいわゆる戦後秩序という枠組みの中で、日本と韓国は、中国やロシアの政治体制と対立する自由主義西側陣営という政治文脈に組み込まれてしまって、その構図の中でしか思考できない限界が設けられてしまっているものである。そしてそのくびきは当然、今の時代にあっても生きている。日本の政治は、中国の脅威に連携して対処するために何としてでも韓国と友好関係を構築しなければならないと考えている、というよりも考えさせられている。ところが当の韓国や中国は、そのような政治文脈など全く無視して接近しているものである。日本の政治とは、実質的に内政しか存在しない。日本の外交政治とその独立性は、韓国や中国が主張し続ける戦後秩序の重要性によって実質的に殺がれてしまっているものである。安倍総理はアジア地域以外への外交に飛び回ることで何とか相対的に日本の国際地位を高めようと努力はしているが、韓国、中国の連携とアメリカが日本に要求する戦後秩序の順守(つまり自由主義国家同士の連携)の足枷はあまりにも重く、そしてその矛盾の溝は年々大きくなるばかりである。そしてその拡大し続ける矛盾の延長線上で、今回のように韓国大統領による民主主義を無視した日本の言論弾圧が発生しているものと見れる。
それでは日本が今、成すべきことは何なのか。憲法改正も当然必要であるが、現実には中々その道のりは困難で遠そうである。そうであるなら消極的に見られるかも知れないが、とにかく日本の政治は、韓国や中国のような国との関わりを断つ方向性にはっきりと転ずるべきである。独立性が保てていない日本の外交の下では、韓国や中国のような国と深く関わることは危険以外の何物でもない。君子は危うきに近寄らず、である。日本の多くの国民がそう望んでいることであろう。交流すべき価値のある国とのみ交流することが日本の国益である。中国の経済も危うい状況にあるようであるし、韓国という国も経済の脆さはもとよりあらゆる面で自壊へのプロセスに突入しているように感じられる。そのような国と深く関わろうとなすことは、日本の安全保障上の意味合いにおいても非常に憂慮すべきことである。