龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

韓国の儒教と日本の左翼について

それで何の話しだったか、別に何でもいいのだけれど、あまり長い期間、沈黙を保っていると死んだと思われて、要らぬご心配を掛けるのもあれなので、今感じていること、考えていることを簡単に述べることにするが、あれだな。あれと言うのは、韓国の精神性に大きく影響を与えていると言われている、儒教の「仁」とか「礼」とか「孝」などは、結局のところは為政者が国民に押し付ける価値概念であって、仏教のように一個人が内発的に道理や真理を見い出して、人格を長い時間を掛けて涵養、陶冶していくものとは全然、種類が異なる教えであり、道程ではないかということだ。だから儒教の考えの下では、為政者は子供を躾ける親と同じように絶対的に正しいということである。親も人間的に問題を抱えていたり、時には、或いは頻繁に嘘をつくということを前提にしていると、儒教の教えは成立しないであろうということだ。それと同様に韓国の政治は、民主主義の体裁を取ってはいるが、儒教の影響でどんな嘘やごまかしであろうとも、基本的には為政者の言うことは重んじられなければならない、否定してはならないという考え方が、日本よりもはるかに強いのではないのかということだ。もちろんそうは言っても、韓国の大統領や側近であっても賄賂などの汚職などで捕まることが繰り返されてきているが、それもある意味では儒教と西洋民主主義の折衷とでも言うのか、儒教的な精神の枠組みの中で行われていることではないのか。中国における孔子であるとか、北朝鮮国家主席のように、一人の偉大とされる人格を崇拝する全体主義的な社会体制とまではいかなくとも、というよりも韓国(朝鮮)は歴史的に中国の属国としての多大なる影響を継承しながら今日に至っているので、政治的に類似していることは当然なのであろうが、わかりやすく言えば、基本的には常に「上から目線」なのである。中国が自国を世界の中心と考えて、アメリカにたいしても決して屈従しないように、韓国は今日においても「小さな中国」なのであって、事大主義で相手こそ選ぶものの、反日政治に露骨に現れている通りに謙虚さの美徳というようなものがまるで皆無の国なのである。そしてその精神性というものは、韓国が歴史的にある時期から「仏教」排斥したことと深く関連しているように考えられる。仏教と言うものは、オウム真理教のようなカルトは別であろうが、謙虚さと言うものがなければ成り立たない思想だと考えられる。自分をとことん虚しくして、否定し尽くして、そこから湧水のように溢れだしてくる知恵や仏性というものが仏教の神髄だと思われる。しかし儒教はそうではないのである。上から民衆や敵対国を押さえつけるベクトルの力学なのであって、到底抑え付けられない力を持っている相手には屈服して従うのである。それが韓国の政治的な精神性だと考えられる。よって日本のように仏教的な考えや精神性が強い国は、韓国政治のように儒教的な物の見方や言動とは、歴史問題を抜きにしても、ものすごく相性が悪いし、意思疎通が困難な相手であると言えるのであろう。韓国の儒教的な精神と言うものは、嘘やインチキをも飲み込んで、自分たちに都合の良いように咀嚼してしまうものである。だから日本に対しても、歴史を一方的に捏造してまで、日本を悪者扱いする考えから離れられないのであろう。日本の在日の知識人などは、日本は歴史に対してもっと謙虚になる必要性があると繰り返すが、それは言っている対象が逆なのであって、韓国こそが歴史に対して謙虚にならなければならないのだ。それはともかくとして、ここからはさらに踏み込んだ考えになるが、私は日本の朝日新聞やTBSなどのいわゆる左派系の言論機関というものは、韓国の儒教精神とよく似ているところがあるのではないかと思うのである。最近は少しは大人しくなったというか、元気がなくなってきている朝日新聞や、今尚健在でやらせ番組ばかり放映しているTBSなどは、謙虚さと言うものがなくて、常に上から目線の姿勢であろう。そして中身と言うものがまるでなくて、事大主義のように相手や状況を見て、手のひらを返すように態度を豹変させる。我々日本人はそういう朝日新聞的な精神性を左翼の特徴だと信じ続けてきたものであるが、そうではなくて本当は思想の右左とは無関係に、そこには韓国の儒教というか、反仏教的な性質のイデオロギーとの目には見えない紐帯があるのではなかろうか。だから日本の左翼と韓国の反日は、相性がよくて自然と結びつくように私には見えるものである。反仏教というものは、突き詰めれば自分で考えるな、自分で感じるなということである。朝日新聞やTBSの社内は、おそらくは内部的にもイデオロギーの洗脳や締め付けが強いのではないかと想像される。自分たちが正しいと考えていることを押し付けることしか考えていないからである。そういう所に、やらせが発生する土壌もあるのであろう。皆さんはどう思われるであろうか。