龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政治の大道

相互間の関係性というものは、国家であれ一個人であれ流動的かつ相対的である。これは自分の方から何かの働きかけをしなくとも、時間の経過の中で相手が自然と変化してゆけば、自ずと関係性の変化も生ずるということである。
中国の北京で開催されていたAPECに出席していた安倍首相が、中国の習近平主席と2年半ぶりの日中首脳会談を行うも、露骨な冷遇を受けたことが話題となっている。今に始まったことではないが、このような公式的な国際会議の場で日本の代表者が公然と侮辱されることに対して、不愉快な思いを抱いたり、怒っている人も多いかとは思われるが、ここは冷静な分析が必要であると考えられる。
先ず言えることは、国の代表者の振る舞いは、個人間の問題とは異なって高度に政治的で遠謀深慮に基づいたものであると思われがちであるが、必ずしもそうとも言えない。むしろ感情的で浅薄な動機が原因であることの方が多いと思われる。特に中国や韓国のように政治体制が独裁的で民度の低い国の代表者は、そのような傾向が大きいと考えられる。自分の国家やその代表者である自分自身の権力や権威が、傲慢にも世界の中心に位置しているかのように考えて、その目先の力学で相手によって露骨に態度を変えることで、主導権を保つことが一義的な政治目的となっている。よってこちらが弱く出れば、そこに付け入るようにどんどんと増長し、強く出れば過激な反発を見せるか、部分的に譲歩をして見せるかのどちらかである。よってそういう国家の代表者は、単にその場、その時点の力の論理で態度を決めているだけで、信念とか大義というような高尚なものは、ほとんど無縁の存在であると言える。力と関係性の力学で優位に立って相手を圧倒するという外交姿勢は、明らかに品格はないが、しかしこれも政治の一要素という以上に国際政治そのものである。つまり純粋に関係性の視点で見れば、日本の柔弱な態度が、中国や韓国のような国の対日姿勢の在り方を方向づけているということもできるものである。
これを分かりやすく個人レベルに例えれば、中国はヤクザで、韓国はそのヤクザに付き従うチンピラのようなものであり、またこう言っては何だが、女のようなものでもある。男女共同参画か女性の自立か何か知らないが、現実的には今でも女は男によって態度を変えることが多い。単に女と言っていけないのであれば、風俗などで働く女の生態といってもよいのかも知れないが、要するに日本はそのような、ヤクザ、チンピラなどの悪党や女の扱い方が非常に下手くそなのである。相手の強圧的な態度や無礼、理不尽な要求などは、その相手側の本性に基づくものであると同時に、自分にも原因があることを理解しなければならない。これは善悪の問題ではなくて、相互間の「悪の関係性力学」を操作しようとする意志と能力を持ち得るかどうかという生存上の存在証明である。日本がその分野に不得手という以上に不能なのは、敗戦国家であるからではなく、有力な政治家のほとんどが二世議員であることと、政治家を取り巻く官僚が東大出の教育ママに育てられたような良家のお坊ちゃんで、喧嘩の仕方を全然知らないところにあるのではないかと思われる。もちろんそうは言っても私とてヤクザやチンピラ相手に喧嘩したような勇ましい経験はないが、馬鹿女を相手に理想や理念を説いても尊敬されないことくらいは理解しているつもりである。そんな無意味なことをするぐらいなら黙って金を渡している方が、よほど双方の関係性は改善するであろう。夢はないかも知れないが、世の中はそういうものである。もちろん中国や韓国に金を貢げというつもりで言っているのではないが、日本の政治家や官僚は喧嘩の仕方を知らないから、馬鹿の一つ覚えのように行儀よく「戦略的互恵関係の重要性」などという文句を言い続けることしか出来ないと思われるものである。マスコミもまた悪い。国家間の喧嘩と言うより、筋を通そうとするとすぐに戦争につながるとか、戦前の軍国主義の回帰や危険な右傾化だなどと騒ぎ立て始める。そんな簡単に戦争が始まるものではないし、日本の政治体制が軍国主義に戻ることなど有り得ない。
どうしても喧嘩が出来ない、或いは筋が通せないというのであれば、日本が取るべき態度は一つしかない。あなたの目の前に一人の馬鹿女がいることを想像していただきたい。意思の疎通はほとんど不可能であるが、会社の上司か同僚か、或いは妻か、要するに協力関係を必要とする相手であると仮定する。そしてその馬鹿女の方が、常にあなたを見下したような態度を取り続けている。そういう状況下で、あなたが関係改善がしたいからとその女にストーカーのようにまとわりついて、話し合いの場を設定しようとするとどうなるであろうか。鬱陶しがられるだけではなく、最悪の場合には相手を逆上させたり、より一層取り返しがつかないほど亀裂が生じる可能性が高いとは考えないであろうか。要するにこれが日本のお坊ちゃん的な外交姿勢の拙さなのである。それではどうすれば良いのかということであるが、事は簡単である。放っておけばよいのだ。必要最低限以上に相手にしないことが重要なのだ。こちらから目も合わさないようにするぐらいがよい。なぜなら自分と関係するマターであっても、自分とは無関係に状況は必ず時間軸の中で流動的に変化してゆくからだ。そしてその流動的な変化の相において、相対的に自分という存在の位置づけやパワーも自分の意思とは無関係に動いてゆくことになる。これは人間のように複雑な関係性の中で生存する者の、宇宙におけるシンプルな真理である。具体的に言えば、中国も韓国もどちらも日本などより遥かに問題を多く抱えた国であることは明らかだ。放っておいても内部的に自壊してゆくことは明々白々ではないか。そういう国家にこちらから取り入るように関係改善を図るような態度など愚の骨頂である。必ず内部的な自壊の原因を日本側に押し付けられて、仮想敵国から立派な敵国に昇格することとなる。自分から危険をおびき寄せているのと同じである。自分の力量で押さえ込めない対象を取り込もうとしてはいけない。そこにあるのは弱者の強迫観念だけだ。反対に距離を置いた半ば無視の姿勢を保っていた方が、その流動的な変化の相の中で日本のプレゼンスは高まり、関係改善の目も出てくるというものである。そうならなければそうならないでも、特に困ることもない。韓国のパク・クネ大統領にしてもそうだが、世界中で慰安婦問題を撒き散らして日本の評価や地位を貶めようとしているが、間違っても関係改善などを日本から訴えずに、相手にしないで好きにさせておけばよいのである。なぜなら未だにそのように隣国の評価を下げることだけに執心している国の代表者など、良識ある国の政治家や国民は外交儀礼上、言葉には出さなくとも、尊敬の対象になる訳がないからである。自国の異常さを自ら宣伝しているのと同じであるから、日本にとってはむしろ好都合である。日本は日本で普通の国として、形式的なコメントだけを出し、後は距離を取って沈黙に徹している方が賢明である。それを日本が動揺を見せて、下手に関係改善に努めようなどするから、反対に韓国のような国を反日政治への依存から離れられなくさせている原因となっていると見れる。また傍目に見ても、同じレベルの国にしか見られない結果となる。まあそのような状態を煽り立てて、恒常的に維持しようとする朝日新聞のようなマスコミの問題も大きいのであるが。哲学的に考察すれば、万事において物事がうまくいかない原因の根底は、自分がその問題をコントロールしようとして、放下できないことにある。自分という小さな存在は問題を解決できなくとも、自分を離れて自分を包含する摂理は、一つの流れの中で安定に収束してゆく必然性を有していると理解することが出来るかどうかだ。自分を離れて、より大なる宇宙の流れを凝視し、囚われから心を解放させた時に、自ずと敵は倒れ、或いは敵は敵でなくなり、我が身や自国が守られることとなるものである。それが老子の道の思想である。という風に私は解釈している。そういう一つの真理を日本の政治家や官僚たちは冷静によく心にかみしめていただきたい。日本は国土は小さくとも、泰然自若とした政治を真剣に追求してゆくべきだ。政治がこそこそ、せかせかとしているから、国情は不安定になり、国民は不幸になるのである。皆さんはどのようにお感じになられるであろうか。