龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

韓国という名の疑わしさ

子役の話しはどうでも良い。また競泳選手の窃盗容疑に戻るが、私には遣る方無き不満があって、それは率直に言わせていただくが、世間の皆様方はどうも節穴とまでは言わないが、考えや物の見方が根本的に甘過ぎるのではないのか。確かに冨田選手の件に関しては、冤罪であるかどうかはわからない。冤罪であると信ずるに足る確たる証拠があるわけではない。しかし多くの人は日本国内の感覚で判断し過ぎているように思われる。韓国は「まともな国」ではない。それではまともな国の定義を述べよと言われても困るが、日本の常識で計れるような国でないことだけは確かだと思われる。一般に息をするように嘘をつく、などと言うが、韓国の行動原理は、日本の世界的な評価を貶めたり、辱めることで充足感や自己満足を得るためには、正義や真実を捻じ曲げることなど何とも思っていないものである。韓国で行われているスポーツの国際大会の場で、日本という国や日本人を卑しめて、また反対に韓国のイメージアップにつながることであれば、どのような謀略が為されたとしても何の不思議もない。なぜならその国家的な「宣伝効果」は絶大であるからだ。日本の常識や良識の下では、国が他国の一個人を犯罪者に仕向けて、その采配や取扱いの中で外交上、心理的に優位に立ったり、また国のイメージを高めようと画策する政治利用などあまりにも馬鹿らしくて、噴飯ものの被害妄想ということになるのであろう。真面目に取り上げる価値のない意見ということに分類されるのかも知れない。しかしそれは繰り返すが、日本の常識で考えているからだ。韓国はそういうことを平気でする国なのである。ナチスヒットラーも似たようなことはしたであろうが、民主主義でない独裁的な傾向のある政治体制の下では、そのような陰謀や謀略は必ず行われると考えなければならない。それが今の日本人の反応を見ていると、あまりにも頼りないと言うべきか、これも戦後教育の一つの弊害なのであろうが、日本の道徳基準や価値観だけで日本以外の物事を判断しようとする。そしてそこが構造的な盲点となっていて、国家的なリスクが放置されたままになっていたり、韓国や中国のような国につけこまれたりする結果となっている。
競泳の冨田選手は、絶対とは言えないが、恐らくは窃盗などしていない。この見解に関して言えば、私は監視カメラの映像を見ていないので、単なる推測というか想像の域を出ないものであるが、直感的には自信を持っている。万引きや窃盗は、歴然とした証拠の映像を見せられれば観念して自供するものであるが、冨田選手の態度は、当初から通例の万引き犯などとは異なっていたものである。窃盗を認めて謝罪はしていながら、やっていないと否定するような発言も韓国にいた時点から見られたものである。空港でやっていないと発言して、その後にその発言をまた否定したりと二転三転してきたものである。これは決定的で揺るぎ難い証拠を見せつけられて観念した犯人の態度とすれば非常に不可解であり、不自然である。犯人の心理とすれば普通は自供するまでに葛藤があるが、一旦認めた後は葛藤しない。どちらかといえば、すっきりとするものである。しかし冨田選手は明らかに、自供してから(させられてから)、大いに葛藤しているものである。この点だけから考えても、冨田選手が冤罪である可能性は少なくないと思われる。それをテレビなどでこの問題に関するタレントの発言を聞いていると、むしろ韓国はこの問題を当初から穏便に済まそうとしていたように見えるとか、略式起訴は日本側に対する寛大な措置であるなどと、それでは韓国が正に画策した通りの日本の反応ではないか。もちろん韓国の謀略であったとすればの話しではあるが、私に言わせれば呑気にそのようなコメントが第三者的に出てくること自体が、冤罪と謀略の可能性を大いに疑わしめる状況証拠のようなものである。それほどに日本人の真実を見極める目はスポイルされているのだと慨嘆せずにはいれない。しかし問題の根は予想以上に深いと思われる。日本人の物事を見る眼が曇らされていたりだとか、洗脳はマスコミが事件を報道する姿勢と深く関連しているものである。マスコミの洗脳とは、宗教と違って消極的なものである。どういうことかと言えば、冨田選手の事件に即して言えば、冨田選手が黒(犯人)であることが濃厚だとマスコミが考えている状況の下では、大いに報道される。報道する側が犯人だと信じているから、自然とその見方や考え方が視聴者や読者に伝播される。マスコミ的に言えば明らかに黒の人間が、無実を訴えている絵柄が面白いのである。仮に冤罪であったとしてもそれはそれで、その一発逆転の構図は耳目を驚かすゆえに貴重であると言える。しかしそれもこれも冨田選手が結局は犯人である可能性が高いことが大前提となっている。つまりマスコミはその土台となる「安心感」に守られながら、事件を面白がっているということができるものである。しかしそこに単なる冤罪というだけでなく、国家的な謀略や陰謀の可能性が僅かでも信憑性を帯びてくると話しは異なってくる。マスコミの本性とは一個人の悪や嘘を面白がっても、一国の根幹を成す嘘や謀略は間違っても絶対に暴きたくはないのである。保身という以上に生命を守る本能の働きという弁解が説得力を持つ事態も場合によってはあり得るであろうから、当然だとも言えなくはないが、ジャーナリズムのあり方としてはどうなのだろうか。日本という国はマフィアに牛耳られているようなメキシコなどに比べれば、何万倍も安全なのである。そういう国で真実にビビって、高給だけ食んでどうするのだと言いたい。日本のマスコミは、話しが少しでも陰謀であることの信憑性が出てくると、つまり「やばくなると」慌てて蜘蛛の子を散らすようにその報道から退散するものである。よって国民は置いてけぼりを食らった子供のように、いつも途方に暮れたような判断力しか持ち得ないものである。これが日本の実態である。
皆さんは数年前に、確か2011年の秋頃に韓国のソウルに旅行中の日本の女子大生が失踪した事件を覚えておられるだろうか。現地のタクシーの運転手とトラブルになり(おそらくはボッタくられたのであろうが)、その仲裁に入った日本語が流暢な韓国人男性と仲良くなって、一旦帰国した後に、愚かにもまたその男性に会う目的で渡韓したものである。ところが予定日を過ぎてもその女子大生は帰国せずに、失踪状態となってしまった。心配した両親が翌月にわざわざ韓国の警察を訪れて捜索願を出したものである。それで当初は韓国の警察やマスコミ、そして日本のマスコミも事件性の可能性が高いとして捜査され、報道も行われていたが、しばらくすると傍目にも不可解な展開となってきたものである。女子大生が男性と一緒に写っている動画を安心させるために送ってきたことから、誘拐のような犯罪ではない単なる愛の逃避行だとして、捜索を打ち切ってしまった。成人の自分の意思による家出に警察は関与できないということであるが、どう考えても不自然である。両親が心配して現地の警察にまで赴いている状況で、異国の地それも韓国で、オーバーステイ不法行為を犯してまで漂流し続けるような根性の座った女子大生は、日本には一人も存在しないはずである。そこからまた何とも理解に苦しむような報道が出てくることになる。翌年の3月ごろにその女子大生が日本人観光客相手に「物乞い」をしている事実が判明したと、韓国のマスコミが報道したものである。この物乞いという言葉そのものが、いかにも悪意に満ちた表現であるか言うまでもないことであろう。ここには二つの意味合いが含まれていて、その女子大生がきわめてだらしなくて卑しい品性であると日本を侮辱すると同時に、確かにその女子大生がその時点で元気に「生きている」と思わせるものである。そしてその翌月4月にどういう訳か、その女性は日本大使館に駆け込んで保護され、何の事件にも巻き込まれておらず、怪我もないとして、日本の報道では極めて控えめに小さく小さく小さく、寝た子を覚まさないように静かに伝えられたのであった。そしてその女性は兵家県三田市の自宅に無事に戻ったことになっている。しかし顔写真も含め大学名や女性の名前など、女性の生存が調べられるような情報はまったく伏せられたままであった。皆さんはどう思われるであろうか。これだけ世間を騒がせたのである。顔写真や名前はともかく、マスコミがコメントの一つも取らない状況はおかしいとは思われないであろうか。今こそはっきりと言わせていただくが、私個人はその女性は韓国内で何らかの事件に巻き込まれて「死亡」したのだと考えている。韓国の警察やマスコミだけでなく、日本の政治や外務省、マスコミまでもがその韓国の隠蔽工作に迎合して、日本の国民すべてを騙した可能性が高い。それは事件の発覚直後には日本のマスコミも大きく報道したのに、1ヶ月ほど経って、韓国の謀略が疑われるような事態となると明らかに日本のマスコミは逃げ腰になってその話題を避けようとしていたことは事実である、と言うか私はそのように記憶している。当時は民主党政権の時期にあって、自民党以上に日本の権力が対外的に脆弱であるゆえにこのような悲惨な事態になったのだと私は見ている。その前後の訳のわからない人為的に作られたとしか考えられないような韓流ブームも恐らくはその政治文脈の中心に位置せられていたのであろう。私が想像するに民主党の人間など、馬鹿女の一人や二人死んでいようが生きていようと屁とも考えていないのである。自分たちの政治上の保身の方が、何百倍も大切なのであろう。そういう腐った人間の集まりでしかない。なら自民党はどうかと問われれば本質的にはあまり変わらないが、自民党の方がさすがに取り繕う能力が高いのである。それもまた政治である。さて、皆さんはこの3年前の女子大生失踪事件と、今回の競泳冨田選手の窃盗事件を比べて見てどのような感想を持たれるであろうか。人それぞれの考えがあるのだろうが、とにかく国や政治の公式の見解はともかくも、我々国民の一人一人は自分たちの生命や名誉を守るためにも韓国という国には関わらないほうが賢明であると思われる。彼の国は、我が国とは違って何でも有りの国体であるのだから。